「古事記」には、 伊邪那岐命(イザナギノミコト)と、伊邪那美命(イザナミノミコ ト)がまず淡路島を生み、次に伊予の二名島(四国)を生んだが、「この島は、身一つにし て面四つあり。面ごとに名あり。故に伊予国は愛比賣(えひめ)という。」とある。 宇和島付近の地形は、複雑な出入りと大小の島が多く、平地が少なくて陸地は急斜面のま ま海に落ち込んでいる。三陸沿岸や志摩半島にも見られるリアス式海岸で、起伏の激しい陸 地が海に沈降したためで、今の宇和島市街も周辺の丘の下までほとんどが海であった。背後 の山の土砂が崩れ、川水に流された土砂が長い年月をかけて扇状大地を作っていった。 昭和31年5月に、北宇和島駅近くの田の中で、粘度を採取していた瓦職人が地下3mほど の所から土器の破片や石の斧、石の矢じりなどの石器類、さらに炭化した木の実や獣骨など を掘り出した。専門家の調査によって土器は縄文式後期のものとわ