利他のために、まず「私」を考える 現代でもよく使われる「利他」という言葉を仏教的な意味で理解するには、仏教の基礎的な世界観を把握しておく必要があります。 まず、仏教で利他を考えるときには「私」を起点とします。他者の利益を考えるのになぜ「私」目線なのかと、不思議に思う方もいるかもしれません。 しかし、思い出してください。すべてのものごとは、自分の認識によってのみ成り立っているのでしたね(唯識)。「あの人にとって、私はこういう存在だ」と思ったとしても、その認識は「私」のもので、他者の認識は推量することしかできません。 しかも万物の本質は「空」であり、あらゆるものは縁起であって、目の前の現象は因果関係の結果として、自分の心というスクリーンに映写された像のようなもの(中観)。その像に、「私」が自分の認識で意味づけをしているのです。 つまり言葉で「利他」「他者」といっても、その認識は自分の中にしかあ