森田真生『計算する生命』(2021) § ——— まず『計算する生命※1』の第一章「「わかる」と「操る」」に書かれているのは、前著の『数学する身体※2』から引き継がれた内容です。計算という他律的なプロセスに身を委ねることによって、自分が直観的にわからないものにアプローチできるというのが、いろんな事例を踏まえて書かれています。つまり、操作しながらある対象にアプローチし続けていると、事後的にわかるというフェーズがやってくると。それは自然にやってくるのではなくて、何かしらの操作に対するイメージを誰かが創造していくような段取りであり、そのようにしながら数学が進化してきたということが書かれていると思います。 この「操る」という部分はよくわかるんですが、なぜ操っているうちに「わかる」というフェーズが出てくるのか。その創造性について、森田さんはどのようにお考えになっているんでしょうか。 森田: その部分