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ミュシャに関するfatumのブックマーク (4)

  • ミュシャを楽しむために:ステンドグラス

    聖ヴィート大聖堂ステンドグラスのもうひとつのデザイン案(左)では、ハトにかこまれた「スラヴィア」を中央に置いている。 スラヴィアはキリスト教が認めない「異教のシンボル」。聖ツィリルと聖メトジェイの二聖人を両脇に配置しているとはいえ、キリスト教の教会堂、それも国の中心にある大司教区大聖堂のステンドグラスの中心に「異教のシンボル」を置く例はほとんどない。 完成した現在のステンドグラス(右)でも最上部のキリストの真下、より中心に近いところにスラヴィアを描いていて非常に珍しいデザイン。 普通このような配置は、異教のスラヴィアがキリスト教に改宗し帰依したことを意味するが、もちろんミュシャのデザインはそのような表現ではなく、スラヴ中心のステンドグラス。 なぜ 聖ヴィート? ボヘミアのキリスト教化に力を尽くしたヴァツラフ1世は、スラヴ神話の中心的な神スヴァントヴィト(Svantvit)と発音が似ている聖

  • 2008-07-10

    ゾディアック→ 美しい絵です。名画の条件として、「何度も観たくなる」感情を喚起できるか、ということがあるのでしょうが、この絵もその条件を満たしているようです。 ハッとするほど美しい女性の横顔、波打つ髪、過剰とまで言えそうにゴージャスな装飾品。そして、彼女の背後に写しだされる黄道12宮の画像たち。 この絵はアルフォンス・ミュシャ(Alphonse Mucha)の名声が高まってきたころ、1897年に室内用カレンダーとして製作されました。 チェコ生まれのミュシャは、いろいろな地を遍歴してフランスのパリにたどり着き、意匠製作を業としていましたが、1894年、女優サラ・ベルナール(Sarah Bernardt)の演劇宣伝用ポスターの仕事を引き受け、好評を得ます。ジスモンダ(Gismonda)という劇のポスターでした。ベルナールもミュシャの才能を高く評価し、その後数年間にわたり、ミュシャは、彼女のため

    2008-07-10
  • ミュシャが単なる萌え絵描きの元祖だと思っていたら大間違いだ :Heartlogic

    ミュシャが単なる萌え絵描きの元祖だと思っていたら大間違いだ アルフォンス・ミュシャといえば、ああいう絵を描いていた人、というぐらいの認識しかなかった。だから当然女と花とおいしいものに囲まれて愉快な一生を送ったんだろ、ぐらいのイメージを持っていたのだけど、そんな無根拠かつバカな思い込みは大間違いだった。この前に行ったミュシャ展で、その人生に大いに興味が湧いた。 おおざっぱに言って、自らの最も得意な一芸を磨き、都会で大成功して、晩年は故郷のために尽くした、というのがミュシャの人生だ。細かい部分は調べきれていないのだが、私にはじつに理想的な一生だと映る。 (1)偶然のチャンスを掴んで大出世 1860年、モラヴィア(現在のチェコ)に生まれたミュシャは、絵は得意だが勉強はダメ、というパッとしない少年時代を過ごしたようだ。19歳でウィーンの舞台装置などを作る工房に就職し、おそらくは今でいう「大道具さん

  • アルフォンス・ミュシャ-主要作品の解説と画像・壁紙-

    アール・ヌーヴォー様式を代表する巨匠。草花をモチーフとした幾何的な文様や、曲線を多用した平面的で装飾的な画面構成など典型的なアール・ヌーヴォー様式と、モデルの女性など描く対象の個性や特徴を的確に掴みながら、視覚的な美しさを観る者に嫌味なく感じさせる独自の対象表現を融合させ、数多くの商業用ポスターや挿絵を制作。画家がパリ時代に手がけた諸作品は当時、大流行となり、画家(作家)として確固たる地位を確立。現在でもアール・ヌーヴォー様式の代表格として広く認知されている。また他のアール・ヌーヴォーの画家(作家)と同様、ミュシャの装飾性の高い平面的表現には日の浮世絵からの影響が強く感じられる。ミュシャの作品はパリ時代のカラーリトグラフによる商業用ポスターや装飾パネルなどが有名であるが、油彩画でも優れた作品を残しており、特に晩年期に故郷チェコで制作した連作『スラヴ叙事詩』は画家の生涯の中でも屈指の出来栄

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