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ブックマーク / blog.szk.cc (2)

  • 神と天才とユートピア 第二部 パフォーマティブ労働の時代 (1)底辺の競争

    痛ましい事件が起きると、僕らの心はひどく動揺する。自分の目の前で起きたことならもちろん、メディアで報じられる事件、事故、災害といったニュースにも僕らはこころをかき乱され、現場に花を手向けたり、少しでも何かの役に立てばと寄付をしたりする。それじたいは単なる僕らの心理の問題でしかない。行動経済学においてはこうしたメカニズムを、いわゆる経済学的な「合理性」に対して、僕たちの「非合理」なマインドの特性として扱うらしいのだけど、社会学という学問においてはもう100年以上、それが人の中でどのような合理性を伴った行動なのかということを論じてきたわけで、殊更に目新しい話のようには思えない(もちろん、それが実験によって検証されているということが新しいのだが)。 さて、そういう社会学的な立場からすると、悲惨な事件に対してあれやこれやとウェブ上で「論じる」という行為も、その内容以前に、事件による動揺を鎮め、「

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  • 「体系の学び」をデザインする

    4月になると新年度の始まり、というけど、社会人になると「新年度を始めるための準備」が前年度末に続くので、さてここからスタート、というほどの区切りはない。むしろそういう区切りがあるのは、新入社員だとか新入学生といった人たちだろう。で、このブログでは入学式が執り行われるこの時期に、そんな新入生向けに学びをめぐるエッセイを書いている。さすがにもう一般論的な話は尽きているので、今年は少し勤め先に寄せた話でも。昨年のエントリから辿ってもらえれば一般論的なことは読めると思う。 「頑張り迷子」にならないために 今年は、宣伝がてらいままでとは違う話を。昨今の大学は、今の子たちの親の世代と比べても、学びの幅が大きく広がっていると思う。かつて専門科目と対置された一般教養科目の扱いが小さくなった一方で、キャリア科目や留学など、より大きなカテゴリーで人格を形成するような学びの場が増えた。その結果、「数の頑張り」が

    「体系の学び」をデザインする
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