日本サッカー協会会長などを務め、2日に85歳で亡くなった岡野俊一郎さんは、出身のサッカーだけではなく、スポーツ界全体にもたずさわった。多方面からその死を悼む声が寄せられた。 日本サッカー男子が五輪で唯一、銅メダルを獲得したのが1968年メキシコ五輪。岡野さんはコーチとしてチームを支えた。エースストライカーだった釜本邦茂さんは「当時のメンバーで昨年5月に集まった時は元気だった。まだ早い」とため息をついた。釜本さんにとって、16歳の時から常に教えを請う存在だったという。「30歳の頃、シュートがどうしても入らなくなった。『踏み込むステップを小さくしろ』とアドバイスをもらったのが印象に残っている」と振り返る。 岡野さんが日本サッカー協会長として迎えた2002年ワールドカップ(W杯)日韓大会は日本サッカー界のハイライトだ。当時の日本代表監督のフィリップ・トルシエさんは「岡野さんは私を『息子』と呼んで
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