ムラとか学校とかというコミュニティを電車として捉えてみる 「はてな村」と「kanose村長」の話らへんから思ったんだけど、ちょっと前にも書いたのだけれど「同じ場所」にいるだとか「同じモノ」を使ってるだとかで括られるのってなんか違うよねみたいな。 学校や会社もそうなのだけれど「そこにいく、そこにいる」というのはそこにいる事によって遂行される目的が同一であるという事に過ぎなくて、同じ目的を持っている=仲間でなきゃならないとか友達でないといけないとかそんな事は全然ないんじゃないのみたいな。 これってコミュニティの概念を根底から崩してしまう考え方なのかもしれないんだけど、「日本の国が美しい」だとか「日本の文化が好き」だとか「日本人」って事だけで「愛国心を持ちましょう」みたいな話に繋がる違和感にも似ているような気がするんだよね。 これに気付いたのは電車に乗ってるときの話で、電車っていうのはある目的