立山中高年大量遭難事故(たてやまちゅうこうねんたいりょうそうなんじこ)とは、1989年(平成元年)10月8日午前中から夜間にかけて立山一帯が悪天候に見舞われ、立山三山を縦走中のパーティ10名が遭難しうち8名が低体温症で死亡した事故である。それまでは大学山岳会や社会人山岳会の登山者による遭難が中心だったが、中高年の登山ブームにより未熟な登山者が増加したことにより発生した最初の大量遭難とされる。 計画[編集] パーティーは京都や滋賀の税理士を中心とした10人のグループで、毎年秋に定期山行を行っていた。このうち比較的経験のある2人がスケジュールを立てた。旅程では10月7日の夕方に滋賀県を出発。立山駅近くの駐車場で仮眠をとった後にケーブルカーとバスを利用し室堂に向かい、ここから出発となっている。 登山一日目(10月8日):立山駅 - (ケーブルカー) - 美女平 - (高原バス) - 室堂 - 一