ここのところオタク文化がどうとかいう議論を良く吹っかけられるのだが、オタクを自称する人たちが概ね口にするのは 社会からの無理解 その無理解に立ち向かう俺たち 最近は市民権を得てきた 好きなことに集中して何が悪い といった趣旨の発言である。個人の自由で済む範疇であれば、何も文句をつける筋合いはない。好きにすればよろしい。だが、日本には古来から伝わる”日陰者”という絶妙な名詞があるのだが、彼らのうちの一部はむしろオタクであることを誇りに思っている。正直、困ってしまう。自分たちの好きなものを聖域視し、それらのブツを否定されることを人格が拒否されたかのような過剰反応をする。 常識的に考えて、いまこのご時勢にエヴァンゲリオンについて熱く語る馬鹿や、赤ずきんチャチャがいかに優れたアニメであったかを他人の前で力説する阿呆が社会から理解されるはずがないだろうということを指摘すると激怒するわけだ
id:y_arimさんは、自分のことが好きになれないと言っている。そうであるなら、一度ガツンと殴られた方が良い。これは比喩的な意味ではなく、文字通り、肉体的に、ガツンと一発(あるいは二発三発)殴られるということだ。アントニオ猪木さんにビンタしてもらうのでも良いが、一番良いのは、ボクシングジムに通うことだ。そこでトレーニングを積んで、スパーリングをするまでになれると良い。そうして、そこでガツンと殴られるのだ。どうせなら、ノックアウトされるくらい、手ひどく殴られると良い。いわゆる、ボコボコにされるというやつだ。 殴られるというのは、本当に大きな効果がある。それはアイデンティティを粉々に打ち砕かれるし、生命の危機を感じる。耳の奥でツンと耳鳴りがして、頭がクラクラとする。意識が朦朧とする。そうした中で、身体の内奥に、何かたぎるような情念のほとばしりが生まれるのである。それが、生きるということの欲求
www.midnighteye.comより、雨宮まみの「弟よ!」経由。 長いので二つに分けました。 カンパニー松尾とAVの世界 ヨハネス・シェーンヘル <日本のAVとは> 日本のアダルトビデオ、略してAVと言われているがそれは驚くべき多様性の世界でもある。もし欲情を喚起するためにセックスを描写し、売り物にするのがポルノグラフィの定義なら、どこからどう見てもそれはポルノなのだ。AVは安価で日本中至るところで目にすることができる。この国のどんなビデオショップに行ってもこのジャンルの商品はたいてい、大きな棚を占めている。 しかし、日本の映画表現が欧米で多くの信者を生み出す一方、アダルトビデオはほとんど顧みられていない。日本の得意とする怪獣もの、アニメをはじめとする全ジャンルに関する日本映画のフェスティバルはヨーロッパ・北米で花盛りだが、AVはどこにある?もちろん、日本のポルノは性器を直接描写でき
なんか姉ちゃん微妙に心配とかしていただいてアレなんですが、イタ電ひとつ、呪いのメールひとつ、そしてついでに仕事の電話ひとつ来ない(……干されてる? っていうかもともと一夜干し程度には干されてるんですけどね、いい具合に香ばしい匂いがします)平和すぎる毎日を送っております。エロ業界にはびこるひとつの定説に「名前が売れると仕事がなくなる」という説があって、名前がそこそこ売れてくると『あいつはもう無記名原稿とか書かないだろ』『細かいエロ記事とかもうやんないだろ』とみなされて仕事が来なくなるっていう現象で、私はこっそりこの現象のことを『著書ショック』と呼んでいたのですが、まさかそれ? 共著のおまけの方なのに? 実際全然売れっ子になってないのがまた泣けます、弟よ……。故郷への手紙のインクが涙でにじみます。 さてさて『エロの敵』関連でこういう話題が。 http://d.hatena.ne.jp/amiy
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