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ブックマーク / ohnosakiko.hatenablog.com (9)

  • 「"村上春樹"的なるもの」について - ohnosakiko’s blog

    村上春樹氏 エルサレム賞受賞-村上春樹という問題 - 無造作な雲 村上春樹エルサレム賞受賞に関する一連の議論の中では、この記事がもっとも深く問題の在処を捉えたものだと私は感じたが、コメント欄ではさらに掘り下げられていた。重要なことが書かれていると思うので、書き込み者の発言の一部をコピペさせて頂きます(各コメントにつき全文は引用していないこと、読み易さのために一部の行間を詰めたことをお断りします)。 id:quagmaさんのコメント ところで、ここでコメントいたしますのは、エントリの趣旨には同意しながらも、書かれているところの一部にやや違和感を感じたからです。 >「“村上春樹”的なるもの」の根強さの根底には、宮顕治・徳田球一らの「獄中18年」に始まる“輝かしき”戦後日の左翼運動が、2・1ゼネスト、六全協、全学連、全共闘と、曲折と挫折と変節を繰り返しつつ、自陣営の拡大のみを至上とする政治

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  • 「でき婚」という日本的システム - ohnosakiko’s blog

    先日友人宅のパーティで会ったドレスメーカーの人と話していたら、こんなことを言っていた。 「近頃、ウェディングドレスの貸衣装屋さんが大変なんですよ。でき婚が増えてるでしょ。サイズが合わないから直さないとならないんです、ウエストとか」 ほお‥‥。もちろん流行りのチュニック風など、妊婦の着られるドレスもあるにはある。だがそれだと、いかにもでき婚ですと言っているように見えて気になる。まだそれほどお腹の目立たないうちに、ウエストが絞られたお姫様ドレスをどうしても着たいという人は多いらしい。でもサイズはやっぱり合わないんですよね。 晩婚・少子化の蔭で増える、できちゃった結婚。そう言えば夫の親戚にも一人いる。 実は結婚したことは知らされてなくて、たまたまその親の家を訪ねた時に、突然生まれたばかりの赤ちゃん(お孫さん)の写真を見せられた。その場に親戚以外の人もいたので「いつ結婚したの?」とは親戚としては聞

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  • 三次元ヌードへの拒否反応 - ohnosakiko’s blog

    今日のデザイン専門学校のデッサンの授業は、ヌードクロッキーだった。私の行っている学校では、全コースの一年生が一度はヌードクロッキーをすることになっている。美術系のヌードモデルをしているベテランのモデルさんが、毎年来る。彼女から、アニメ専門学校に仕事に行った時の興味深い話を聞いた。 クロッキーの授業が始まってしばらくしたら、気分が悪いと言って退室する学生が幾人か出たという。初めてヌードモデルを描くという緊張感で気分が悪くなったのか? 後で教官に訊くと、どうもそれだけではなかったらしい。 アニメーションコースに来るような学生は、だいたい女の子の絵を厭というほど描いている。実物の女のヌードを目の当たりにする前から、女の子のヌードの絵も描いている。そこで頭の中に、かわいくて理想的な女の子の身体イメージというものが、既に確立されている。 しかし。現実の女性はアニメ絵とは違う。ずっとずっとナマナマしく

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  • 個性は獲得目標ですらない - ohnosakiko’s blog

    美術教育方面の話に絡んだ「個性」関連のエントリが賑わっている。 そもそも君らに個性などない - 地下生活者の手遊び 個性は当に獲得するものなのか?- ハックリベリーに会いに行く 個性とは、他人から独自のやり方であると認められたものに過ぎない。個性が周囲とは無関係に存在すると思っていること自体が間違っている。 - 消毒しましょ! 以前、美術系の幼児教育に携わっていたことがあるので、ちょっと子どもの絵の話を。 子どもの絵には、年齢に対応した発達段階がある。たとえば4歳の子どもがどのような絵を描くかは、多少の個人差はあれどもある程度の類型が見られるので、そこから発達障害や心理的外傷を読み取ることも普通にされている。 年齢的発達段階とは別に、絵には子どものその時の精神状態や興味のあり方といった心的現実が色濃く反映される。殊に言語コミュニケーションが十全な発達を遂げていない時期の子どもにとっては、

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  • 2007-11-13

    三つのブックマークコメントから。 2007年11月10日 kusamisusa 恋愛,大学 「文系男子取扱説明書」を書いたらキモーイ感じになるであろうわけで、そのへんの非対称性が。 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/b_say_so/20071109/1194621282 2007年11月13日 rAdio『ちょっと厄介な私の取説』か…羨ましいね、そういうことを堂々と言えてしまうのが。妬ましいね。そして憎い。非モテ男がいくらそれを叫ぼうとも、待っているのは…。 2007年11月13日 TakahashiMasaki 喪男,とりあえず "理系女子も文系女子も文化系女子も芸術系女子もギークなお姉さんもその他の女子も、それぞれ女子の生きにくさ、厄介さというのを、どこかで抱えている。それを少しはわかってほしい"なら喪男らも… htt

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  • 彼女に何か言えることがあるとしたら - ohnosakiko’s blog

    昔、恋人のいる人をすごく好きになってしまったことがあった。毎日その人のことを考え、どうしてもその人と付き合いたい、抱きしめられたい、キスがしたい、セックスしたいと思った。彼女がいてもいい、一回セックスできたらそれで満足とまで思い詰めた。 そしてついにその人に好きだということを打ち明けたら、あっさり付き合えることになった。でも恋人とは別れないという前提付き。 私はそれでもいいと言った。その時は当にそう思っていた。そして、その人に自分が性的に承認されたことに有頂天になっていた。 何度か一緒に事をしセックスをした。一緒にいる時、その人はとても優しかった。増々その人のことが好きになった。 だがそのうち、私は苦しくなってきた。彼女からこの人を奪いたい。この人のたった一人の人になりたい。私以外の人とはセックスしてほしくない。最初に「それでもいい」と思った前提はみるみるうちに崩れた。よくある話だと思

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  • ストレスフルなブログライフを送る気の小さい人にお勧めの、はてなで面倒な議論や揉め事を避ける方法 - ohnosakiko’s blog

    ある記事を読んで批判的な言及をしたくなる。 しかし人からコメント欄にネジ込まれるのは厭。 反論ブコメを書かれるのも、反論記事をトラバされるのも厭。 そこで。 記事内で「これは特定個人や事象への言及ではありません」と断る。 地雷ワードを避け「自分の話」か「一般論」とした上で、書きたいことを書く。 クリリンした人は手出しできず苛々するがスルーするしかない。 「自分の話」か「一般論」が上手くいけば賛同ブクマ。 人からの反撃を受けずに、無傷でしてやったり感を満喫。 下手な仄めかし記事よりはるかに安全。 タイミングのポイント:相手の記事が上がった直後だと露骨過ぎるので危険。一週間以上後だと効果半減。できれば批判的な空気を読んでから便乗するのがベター。 その記事への別の批判記事に賛同ブクマをつけるより角が立たず、その記事への批判ブコメにスターをつけるより生産的で、揉め事も起きにくく平和的なストレス

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    fenethtool
    fenethtool 2008/06/29
    読んだ限り、ネタっぽい印象を受けた。なぜかと言われても困るのだけれども、なんか姿勢がいけ好かないというか、卑怯だなという印象。あくまでも印象。
  • 生業と言論、生活と思想の一致問題の困難 - ohnosakiko’s blog

    小谷野敦氏が荻上チキ氏の実名をブログで仄めかして問題になっている件について。 荻上チキの正体(を償うにをもってせよ) 小谷野敦さんに実名を晒された件/および匿名と顕名の擁護(荻上式BLOG ) 小谷野氏と荻上氏はフェミニズム/ジェンダー論を巡っては真っ向から対立する立場だから、小谷野氏の中には、匿名や非・実名での言論への批判とは別に、「論敵」であるフェミニストmacska氏と懇意な荻上氏を攻撃したいという気持ちもあったような感触を受ける。それを措いても、今回のことは道義的な問題として、散々非難の的となっている。いろいろ見て回ったが、私の意見は実名と顕名の境(あるいは言論人と言論者の境)(地を這う難破船)に近い。 人間は、多く、言論人である前に生活ある個人である。個人として発言することが「言論人」である、と考え得るのは、言論と生活が一致しているがゆえのこと。それをして顕名を「卑怯」とする

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  • 「非モテ論議」についての個人的且つ暫定的まとめ - ohnosakiko’s blog

    問題は一つしかない 「非モテの人の言っていることは概ねモテない「言い訳」と自己の「正当化」であり、自分で解決すべき問題の他への責任転嫁である」。 これが真であるか偽であるか、あるいはどれだけの割合の非モテ(を名乗る人)がそうなのかということに、私は関心がない。そんなことを議論しても意味がないと思う。 「非モテも加害者だ」というデータをいくつ集めたところで、それに反するデータは出てくるだろう。水掛け論になるだけだ。 もともと私の興味の中心は「性」(セックス、ジェンダー、セクシュアリティ)だが、「非モテ」について書いたことはブログではなかった。しかし10/13の記事の一部があるブログに引用されたことをきっかけに、たまたま議論に関わることになった。 10/26のコメント欄(07/11/20追記:復元不可能でした)のようなやりとりはおそらく、はてな界隈では何回も繰り返されてきたものだろう。「ああま

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