老親が、いつも待ち合わせに30分以上早く到着して「着いた?」とメールしてくるので困っている。 前回は1時間早く到着しており、暇つぶしにウィンドーショッピングすると「疲れる」「休ませて」と言ってくる。 食事会なので、その前にカフェに入って何か食べるわけにもいかない。(カフェでコーヒー飲むくらいならいいと思うけど、それをわざわざ探すのもまた面倒) 今後、早く着きすぎた場合は自己責任で暇つぶししてもらって、時間になったら店の前に現地集合しようと思う。
このエントリでは、「価値なんてひとそれぞれだ」という素朴な相対主義を批判する。 さいきん哲学者でない友人に対して「ある種の価値は客観的である」といったことを話したら、そんなわけはないと反論を受け、その後いくつかのディスコミュニケーションを起こした。これは私の方に全的な責任がある。第一に「客観的」という不明瞭な語を使ったうえに、第二に価値の客観性を所与のもの(説明するほどのことでもない当然のこと)として話していたからだ。 そこで、友人に受けた反論を踏まえつつ、相対主義にきちんと反駁してみようと思う。なお、以下の話はすべて何かしらの哲学研究を念頭においており、どれも独力で考えついたものではない。したがってこのエントリは価値論(value theory)の超入門になっていなくもない。 さて、本エントリの中心的な主張は以下だ。 価値観がひとそれぞれだという事実からは、〈価値はひとそれぞれだ〉という
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