2011年2月6日のブックマーク (7件)

  • エジプト:野党勢力、政府側と対話 エルバラダイ氏も - 毎日jp(毎日新聞)

    カイロ中心部のタハリール広場で、新聞を読んだり休息を取る反大統領派の人々。疲労の色も見えている=2011年2月5日、AP エジプトの反政府デモに参加するイスラム原理主義組織「ムスリム同胞団」や、エルバラダイ前国際原子力機関(IAEA)事務局長ら野党勢力は6日、政府側の呼び掛けに応じてスレイマン副大統領との対話に応じた。ロイター通信が伝えた。ムバラク大統領退陣前の対話を拒否してきた従来の方針から転換した。一方、かつてはムバラク大統領の後継者と見られていた次男ガマル氏は5日に政界を事実上引退した。デモ発生から13日目に突入したエジプト国内は6日、これまで閉鎖されていた銀行や多くの商店が営業を再開して「日常」を取り戻しつつある。デモを巡る情勢が膠着(こうちゃく)化の様相を強める中、事態収拾へ向けた模索が始まった。 ◇存在感増す「ムスリム同胞団」 影響力拡大に警戒感も 【カイロ鵜塚健】政情不安の続

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    finalvent 2011/02/06
  • 時事ドットコム:菅政権に痛手=執行部の責任問う声−「民主王国」で大敗

    菅政権に痛手=執行部の責任問う声−「民主王国」で大敗 菅政権に痛手=執行部の責任問う声−「民主王国」で大敗 民主党は6日の愛知県知事選、名古屋市長選でともに敗北、菅直人首相にとって大きな痛手となった。4月の統一地方選に向け、首相や岡田克也幹事長の責任を問う声が上がっており、首相の求心力が一段と低下するのは必至。2011年度予算案と関連法案を成立させる展望も開けておらず、政権運営は険しさを増している。  両選挙とも、県民税、市民税の大幅減税を掲げた候補が民主、自民両党など既成政党の推薦候補を大差で破った。民主党幹部は「愛知特有の事情でこういう選挙になった。国政とはリンクしない」と、首相の責任論には直結しないとの認識を強調した。  ただ、愛知県は、2009年夏の衆院選で15小選挙区全てを同党が制した「民主王国」だけに、敗戦の衝撃は大きい。小沢一郎元代表に近い議員は「結果責任と説明責任は厳しく問

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    finalvent 2011/02/06
  • 【エジプト衝突】同胞団 世論読み切れず…迷走、焦り+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    【カイロ=大内清】エジプトの事実上の最大野党で非合法の穏健派イスラム原理主義組織ムスリム同胞団が6日、これまでの強硬姿勢からスレイマン副大統領との対話の構えに転じた。背景には、世論が現体制下での緩やかな民主化の支持へと傾きつつあるのを読み切れずに政権転覆まで主張した結果、一般国民が抱くイスラム化への警戒から来る反感が強まっていることへの焦りがありそうだ。 「すでに政権の正統性は崩壊した。その政権と何を話すことがある?」 スレイマン氏が国営テレビとのインタビューで、すべての政治勢力に対話を呼びかけた3日夜。同胞団指導部のムハンマド・モルシー氏はこう言い放った。 それからわずか2日半で何があったのか。 「追放の金曜日」と銘打たれた翌4日のデモには、首都カイロ中心部タハリール広場に20万人が集結、ムバラク氏の即時辞任を求める声の強さを改めて見せつけた。しかし、同時に、世論の風向きは微妙に変化しつ

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    finalvent 2011/02/06
  • 名古屋市長選挙 河村氏が当選 NHKニュース

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    finalvent 2011/02/06
  • 時事ドットコム:政府側と対話方針=ムスリム同胞団

    政府側と対話方針=ムスリム同胞団 政府側と対話方針=ムスリム同胞団 【カイロAFP=時事】ムバラク・エジプト大統領退陣まで政府側と交渉しない姿勢を示していた野党勢力、ムスリム同胞団の関係者は6日、スレイマン副大統領との対話を開始する方針を決めたと明らかにした。  同胞団は同国最大の穏健派イスラム原理主義組織で、政府側との対話は初めて。この関係者は、対話の目的について「国益や国家独立に鑑み、民衆の要求が受け入れられる妥協点を見いだすため」と説明している。(2011/02/06-12:28)

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    finalvent 2011/02/06
  • 菅首相:「疎い」発言で伸子夫人が忠告…会合で明かす - 毎日jp(毎日新聞)

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    finalvent 2011/02/06
  • 連合赤軍 永田洋子死刑囚死亡 NHKニュース

    連合赤軍 永田洋子死刑囚死亡 2月6日 4時6分 連合赤軍の元幹部で、昭和40年代に多数の仲間を殺害した事件などで死刑が確定した永田洋子死刑囚が、5日夜、東京拘置所で死亡しました。 連合赤軍の元幹部の永田洋子死刑囚(65)は、昭和46年に組織を抜けた仲間2人を殺害したほか、翌年にかけて群馬県の榛名山などのアジトで仲間12人を死亡させた殺人などの罪に問われ、平成5年に死刑が確定しました。永田死刑囚は、昭和59年に脳に出来た腫瘍の手術を受け、その後は収容されている東京拘置所の医療施設で治療を受けていました。関係者によりますと、永田死刑囚は、ここ数年は病気の悪化で寝たきりの状態だったということで、5日夜、死亡しました。裁判で、永田死刑囚は責任を認めて謝罪し、手術のあと出版した手記では「生活のすばらしさ、生きることの大切さを知り、そのゆえに14名の同志が決して生き返ることはないという事実が重くのし

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    finalvent 2011/02/06