フランスのテロ事件は、今まで「その話は公的には黙殺することで現代社会を成り立たせていた」問題をすべて白日の下に晒しつつあるように思います。
![テロが当たり前の時代の『あたらしい正義』について](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/94b0fc76df54160453e3fee6d72cb7969e95fbd8/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fimg.huffingtonpost.com%2Fasset%2F5c63c824360000fa0a6ae11a.jpeg%3Fops%3D1200_630)
フランスのテロ事件は、今まで「その話は公的には黙殺することで現代社会を成り立たせていた」問題をすべて白日の下に晒しつつあるように思います。
フランスのテロ事件以降、我々は「それぞれの小集団が掲げるそれぞれの絶対的な正義」のぶつかり合いによってどんどん正義についてニヒリスティックになっていくが、それでも人類共通の価値を崩壊させないためには、「個別の正義同士のぶつかり合い自体をどう扱うか」について考える「メタ正義論」のようなものが必要だという話を、前回から続いてしています。(この記事のタイトルは少しずれているように見えますが、最後にはその話になります) その前段階としてさらに数日前に、この問題について軽い問題提起のブログをあげましたんですが、その中に引用した、現在製作中の本からの挿絵↓には結構な反響がありました。 ↓ この「絵」にあらわれているような問題を、いかに「多くの人間の責任」で解決するかが、「それをやらないと理想を丸ごと捨てることになる」時代に来ているわけです。 詳しくは前回の記事を読んで欲しいわけですが、「アラブの春」に
杉並区議会議員 小林ゆみブログ最年少の杉並区議会議員、小林ゆみのブログです。 元信託銀行総合職行員、元予備校講師という経済・教育分野における経験と知識を区政に活かし、杉並区をもっと住みよい街にすべく、日々奮闘中!
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