丸善が出している『學鐙』という雑誌に教育論を寄稿した。 一般の方にはあまり手に取るチャンスのない媒体なので、ここに採録しておく。 不便さと教育 というタイトルを頂いて原稿を書くことになった。たぶん「教育と効率」の背馳について論じて欲しいというのが編集部の趣旨であろうと思うので、それについて書くことにする(違ったらごめんなさい)。 教育と効率は本質的になじまない。というのは、効率というのは、「単位時間内の仕事量」を以て考量するものであるが、教育がそのアウトカムを計測するときの時間の幅は原理的に「その人が死ぬまで」というもので、「単位時間」を切り出すことができないからである。 もちろん、無理をすれば単位時間を切り出して(「1時間以内の」とか「一学期以内の」とか「卒業時までの」とか)教育のアウトカムを考量することもできないことではない。 けれども、そこではじき出された数値は、教育を受ける本人にと
ea_spouse / 青木靖 訳 2004年11月10日 私の大事な人はElectronic Artsで働いている。そして私は、あなたが不満な配偶者と呼ぶだろう人間だ。 EAの明るく輝く新しい会社のトレードマークは「すべてに挑戦する」だ。これがどこに適用されるのかは、あまりはっきりしていない。NFLのライセンスを受けたフットボールゲームを次から次へと量産するのが何か挑戦的なことだとは私には思えない。まるで金の農場だ。EAの経営陣でたまたまこれを読んでいる人がいたら、あなたのためにいい挑戦を教えてあげる。あなたが自分の手にする何百万ドルのために背中を踏みつけにしている人たちに、安全でまっとうな労働条件を作るっていうのはどう? 私が名を明かしたとしたら私の家族に起るだろう結果について、私は何の幻想も抱いていない。だからここでは匿名でいさせてもらうことにする。だけど、私は自分たちの話を公にする
前回エントリ「剛体化と柔体化 #1」から,かなり間が空いてしまいました。今回,ここでは,発勁と勁道についてのモデルを考えながら剛体化と柔体化の意味とその制御のタイミングについて考えてみましょう。 あんまりイラストに自信がないので,これまた,あんまり自信のない樹脂粘土を使っての3Dモデル。え?人形(ひとがた)でなくて,猫じゃないかって? いえね,人形のものも作るの苦手なんで^^; もちろんうちの息子たちが作ったものではありません。彼らだったらもっといいものを作るでしょうが,好いおっさんが作ってこのレベルです。リアリティはありませんが,味だけはあるでしょう。ごめんなさいごめんなさい。 双方,対峙するはニャン拳の使い手が二匹。太気拳のような這(はい)の構え。 さて発勁ですが,確かに発勁で打たれると飛ばされます。最初にプロテクターなければ致命的な怪我を負うか,壊れますので,発勁はプロテクターなしで
日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。 しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。 ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。 僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20
カタルーニャ国際賞の授賞式で、スピーチする作家の村上春樹さん=スペインのバルセロナで2011年6月9日、ロイター 9日のスペインのカタルーニャ国際賞授賞式で配布された作家村上春樹さんの受賞スピーチの原稿全文は次の通り。(原文のまま) 「非現実的な夢想家として」 僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。 僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に
大反響となったネットの投稿「余命51時間だけど質問あるかな?」 人は死が近くなると、本当の自分が出るのかもしれません。 毎日どこかで誰かが亡くなり、誰かがお別れを伝えたりしています。 ガンに侵され火曜日には安楽死を迎えるという人が、「残り51時間」というタイトルで投稿したものが、ネット上の反響を呼んでいます。 オレゴン州の尊厳死法のおかげで、ようやく火曜日にガンとの闘いが終わります。準備のひとつとして鎮痛剤を切り、残っている限りの自尊心を取り戻そうと思っています。 自分が誰だったかというのは関係ありません。痛みが常にあり、疲弊しきった末に、ようやく一片の尊厳を許されました。質問したい人は何でも聞いてください。 海外掲示板に投稿されたこの内容に、数え切れないほどの質問や激励がされていました。 コメントの一部を抜粋してご紹介します。 ・わあ……、平安があなたに訪れますように。あなたの考えがこの
通りすがりのやさしそうな雰囲気の女性が向こうからやってきたネコをなでなでしてかわいがっていたかと思うと周囲の様子をうかがい、誰も見ていないことがわかった途端に、近くにあった大型のゴミ箱の中へネコを捨て、そのまま立ち去るというネコ好きの人からしてみると実にけしからん事件が発生しました。 飼い主がなんとかネコを発見し、「なぜこんなことに?」と思ってあらかじめ防犯用に設置していた監視カメラを見てみたところ、女性がネコポイ捨てに及ぶところを確認、ネット上でムービーを公開して情報を募ったところ、思わぬ大騒ぎになってしまいました。 詳細は以下から。 まずこれがそのムービー。 Insane Cat Lady Video ネコに気づく女性 そのままなでなでしています しかし周囲を窺い…… 誰もいないことがわかるとネコをゴミ箱の近くへ誘導 ポイ なんということでしょう、何食わぬ顔で立ち去っていきます 飼い猫
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