2015年10月16日のブックマーク (3件)

  • おずぼーん。 - 悩みは特にありません。

    2015-10-16 おずぼーん。 息子と散歩している時によく会うお爺がいます。外見は里芋に似ていて、自分のことを自分でお爺と呼ぶ。発音は「おじィン」という感じ。以下おじィン・オズボーンね。 おじィン・オズボーンは会うたび「おじィン、子ども大好きや~」とか言って息子の頭を「かわいいな~」とひと撫でするのですが、この前私ひとりの時に駅でおじィン・オズボーンとすれ違ったので挨拶したら「誰?」みたいな顔をされました。 おじィン・オズボーンは毎度子ども(おもち)に注目し過ぎて、子どもの付属物(寺地)を全く見ていなかったのだった。うん、それだけです。おじィン・オズボーンの話は以上です。オチとかねえから。私は当はおじィン・オズボーンの話じゃなくてあらすじの話をしたかったんだ。そう、こういう、文庫の最後についてるやつね。他のの紹介で短いあらすじが載ってるやろ、寺地ィンはあれが大好きなんや~。今

    おずぼーん。 - 悩みは特にありません。
    fktack
    fktack 2015/10/16
    学生時代にエロ本内の他のエロ本紹介文を食い入るように読んだのを思い出した。
  • 行ってみたい時代 - kansou

    行ってみたい時代は別にないが、ドラえもんの「おばあちゃんの思い出」という話が大好きで、観ると必ず泣いてしまう。正直自分のバアさんの死に目には一粒の涙もこぼさなかったのだけど、「おばあちゃんの思い出」は「無人島に持って行きたい映画」としても必ず名前が挙がるほど好きな作品だ。 話の内容はのび太が小さい時に死んでしまったおばあちゃんに会いに行くというシンプルなストーリーなのだが、以前ブログでも書いたように当にのび太のおばあちゃんの顔・所作・声がとてもいとおしく最初におばあちゃんが登場する坂道のシーンだけでもグッときてしまう。 この「おばあちゃんの思い出」の素晴らしいところは「多くを語らない」ところだ。終盤のび太がランドセルを背負っておばあちゃんの前に現れるシーンがあるのだけど、そこでのび太は「おばあちゃんに会いたくて来た」と言うのだ。これは暗に「未来ののび太が生きる世界ではおばあちゃんがもうい

    行ってみたい時代 - kansou
    fktack
    fktack 2015/10/16
    のび太の婆さんだって全裸で用を足すかもしれない。
  • 内田百閒「第一阿房列車」 - 牡蠣が食えたら

    先週、内田百閒の「阿房列車」を買っていま読んでいるがこれが大変に面白い。しかし他にも同時並行的に読んでいるがいくつかあって、そのひとつは図書館で借りただから期限があるので読まないといけないと思うとかえって読む気がなくなるものだが、そちらを読んでいるのでなかなか進まない。今日もKindle小説の短編集を買ってしまったし、しかし頭の中は阿房列車だ。ただこちらは買っただから読むのに期限はない。これが世に言う積読か。 私が買ったのは新潮文庫の「第一阿房列車」だ。いま二章の区間阿房列車の途中まで読んだところだが、既に面白い。1ページ目からもう面白くて、というか面白いは最初の一行から面白いものだけれど、1ページ目に書いてあることは列車に乗るなら一等車が良くて三等や二等には乗りたくない、三等車の乗客の顔つきは嫌いだと書いている。そのくせあとになって行きは一等でも帰りは三等でいいなどと書いている

    内田百閒「第一阿房列車」 - 牡蠣が食えたら
    fktack
    fktack 2015/10/16
    なるほど面白そう。ちょっとベケットをれんそうしました。