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2016年10月18日のブックマーク (5件)

  • アップアップガールズ(仮)『君という仮説』(UP UP GIRLS kakko KARI) (MV)

    君という仮説 作詞:児玉雨子 作曲・編曲:michitomo MV監督:二宮ユーキ tower→http://tower.jp/artist/2058803/ amazon→https://www.amazon.co.jp/dp/B01LTHKLYW(初回限定盤) https://www.amazon.co.jp/dp/B01KYGICY0(通常盤A) https://www.amazon.co.jp/dp/B01LTHKLZ6(通常盤B) アプガはライブ!チケットは→ http://eplus.jp/sys/T1U14P002061915P0050001 (e+) http://artist.pia.jp/pia/artists.do?artistsCd=B6270002 (チケットぴあ) ☆仙石みなみ red 生年月日:1991年4月30日 出身地:宮城県 メンバーカラー;赤 ☆

    アップアップガールズ(仮)『君という仮説』(UP UP GIRLS kakko KARI) (MV)
  • 時代を先取りすぎた!? イロモノ系アイドルの元祖「太陽とシスコムーン」 - エキサイトニュース

    ここ数年、イロモノ系アイドルグループが人気となっている。アイドルとメタルを融合させたBABYMETAL、美少女2人と「女装ヒゲもじゃプロレスラー」の3人組・LADYBABYなど、超個性的な特徴と実力を兼ね備えたグループがファンを増やしている。 そんなマニア好みなアイドルグループの元祖ともいえるのが、1999年に『ASAYAN』(テレビ東京系)のオーディションからつんくプロデュースでデビューした4人組、太陽とシスコムーン(2000年、T&Cボンバーに改名。同年に解散)だ。 『ASAYAN』オーディションからつんくプロデュースでデビューした点はモーニング娘。とも共通している。しかし太陽とシスコムーンは、あまりにもメンバーひとりひとりの個性が際立ちすぎているのだ。 太陽とシスコムーンのメンバーたち まずはその濃ゆいメンバー構成からみていこう。 ■信田美穂 元ソウルオリンピック体操日本代表。 バク

    時代を先取りすぎた!? イロモノ系アイドルの元祖「太陽とシスコムーン」 - エキサイトニュース
    flagburner
    flagburner 2016/10/18
    太陽と(略)は、つんくやUFGにとっていろんな意味で実験的な要素が強かったのかな、と今になって思う(謎)
  • 「天皇陛下の戦争責任」などとばかげた意見の方へ(2014/01/20) | 日本のために

    昭和天皇の私的なお言葉と言うか、ご発言に関しては文芸春秋の1990年12月号『昭和天皇独白録 』、『富田メモ』(日経済新聞、2006年)『卜部亮吾侍従日記』(朝日新聞、2007年4月26日)などがあります。戦前戦中の御前会議等でのご発言には公式文書なりがありますが、私的発言については宮内庁内のことであり、常識的に侍従長なりが筆記用具片手に天皇陛下と会話されるとは思えません。さらにかつて認証式で天皇陛下との会話を漏らした大臣は辞任に追い込まれているように、あってはならないことなのです。まず天皇陛下の私的なお言葉が外部に伝わることはないと思います。三笠宮寛仁殿下も天皇陛下やご皇室内での会話に宮内庁の誰かが聞き入ることもなければ、ましてやメモ等は有り得ないということは仰っていました。 ですから上記の三点の文献の真贋については不明です。そして天皇陛下が万が一にも政治的な話題、そして靖国神社等の話

    flagburner
    flagburner 2016/10/18
    「そもそも戦争は犯罪ではないと思います。戦争の開始、通告、戦闘の方法、終結を決める法規も戦争自体が非合法ならまったく無意味なものになってしまいます」はい解散(棒)
  • 戦争世代論 ~天皇はなぜいつまでも戦争責任を問われ続けるのか

    flagburner
    flagburner 2016/10/18
  • 退位論と「戦争責任」 意図的に排除された「昭和天皇実録」 | AERA dot. (アエラドット)

    「昭和天皇実録」を読み解くにあたっては、終戦に至る天皇の判断や、戦争責任問題の検証は避けて通れない。ノンフィクション作家の保阪正康氏(74)は、44歳まで大元帥だった「軍人」天皇に、好戦主義者でも和平主義者でもないリアリストの顔を見た。天皇の苦悩から、国の政体と天皇制が合体することの危うさが透けて見える。 *  *  * 昭和天皇は好戦主義者でも和平主義者でもなく、皇統の維持が基的な立場だったと考えています。できれば戦いたくはないが、皇位のため必要なら戦争もするし、平和なほうが皇位を守れるなら平和を選択するということです。 1941(昭和16)年の対米開戦に至る過程で、天皇が初めは「戦争は嫌だ」と消極的だったのに、しだいに開戦を受け入れていくのは軍事指導者が執拗に「戦わなければ国は存立しない、皇位を守れない」と説得したからでしょう。 実録では41年9月6日の御前会議で昭和天皇が祖父・明治

    退位論と「戦争責任」 意図的に排除された「昭和天皇実録」 | AERA dot. (アエラドット)
    flagburner
    flagburner 2016/10/18
    『私たち国民の側からみれば、天皇に限定的な戦争の責任はあるに決まっています。開戦責任、終戦責任、国民を死なせた責任、過酷な負担を強いた責任など、いろいろある』