アルトーにとっての最大の転機であり、思想史上最大のドラマでもあったキリスト教からの訣別と独自の《身体》論構築への格闘を、狂気の炸裂する詩的な書簡(1943~46年)によって伝える絶後の名編。アルトー研究の第一人者二氏による改訳決定版。 ※白水社『アントナン・アルトー著作集』第V巻1998年刊の増補・改訂版です。 ※月曜社「アルトー・コレクション」続刊・・・2:アルトー・ル・モモ | 3:カイエ | 4:手先と責苦 アントナン・アルトー(Antonin Artaud) 1896年9月4日、父アントワーヌ=ロワと母ユーフラジー・ナルバスの長子として生まれる。5歳のとき、脳脊髄膜炎を患い一命をとりとめる。1921年、俳優としてデビュー。1924年、ジャック・リヴィエールとの往復書簡発表。シュルレアリスム・グループに参加。27年に離脱。1932年、「残酷の演劇宣言」。34年、「ヘリオガバルス」。