文化六年の春が暮れて行く頃であった。麻布竜土町(あざぶりゅうどちょう)の、今歩兵第三聯隊(れんたい)の兵営になっている地所の南隣で、三河国奥殿(みかわのくにおくとの)の領主松平左七郎乗羨(のりのぶ)と云う大名の邸(やしき)の中(うち)に、大工が這入(はい)って小さい明家(あきや)を修復している。近所のものが誰の住まいになるのだと云って聞けば、松平の家中の士(さむらい)で、宮重久右衛門(みやしげきゅうえもん)と云う人が隠居所を拵(こしら)えるのだと云うことである。なる程宮重の家の離座敷と云っても好いような明家で、只台所だけが、小さいながらに、別に出来ていたのである。近所のものが、そんなら久右衛門さんが隠居しなさるのだろうかと云って聞けば、そうではないそうである。田舎(いなか)にいた久右衛門さんの兄きが出て来て這入るのだと云うことである。 四月五日に、まだ壁が乾き切らぬと云うのに、果して見知ら