【日本の伝統馬術】 騎射にとって、弓射の技術はもとより、騎乗の技術が特に重要なことは言うまでもありません。 騎射をはじめとする馬上武術の発達と共に練磨されてきた日本独自の馬術は、流派の発生と共に古くは小笠原流・大坪流・八条流・内籐流といった馬術流派が勃興し、馬上武術がその実用を失って衰退した室町時代以降も、馬術自体は盛んに続けられてきました。 江戸時代になると、軍用から離れた和式馬術は、庭乗といわれる、現在の馬場馬術のように、馬の動きを華やかに見せる方向へと変化していきます。そうした本来の姿を失いつつあった和式馬術も、八代将軍・吉宗が行なった享保の改革では、再び戦闘馬術が見直されたため、流鏑馬・笠懸・犬追物が復興され、度々行なわれるようになります。 また、当時馬術の達人といわれた斎藤主税定易が「大坪本流」を興したのをはじめとし、各藩に伝わる古流から新流派が次々と現れたのもこの頃です