縁があり、ジャン=リュック・ナンシー『フクシマの後で――破局、技術、民主主義』という翻訳書を先月に公刊しました。詳細は訳者解題に書きましたが、2011年12月に東洋大学で開かれたウェブ講演会でのナンシーの講演がその後増補され、フランスで『破局の等価性――フクシマの後で』というタイトルで公刊されました。ただ、日本で公刊するには、この著作だけでは短すぎるので、独自編集版として、同時期(とはいえ「フクシマ」の前)に書かれた技術に関する論考(「集積について」)と民主主義に関する論考(「民主主義の実相」)を合わせ、全部で三つのテクストからなります。 これまでナンシーはいろいろ読んできましたが、今回、とりわけここ数年のナンシーのテクストを集中的に読むことができ、いくつも新たな発見がありました。その発見のいくつかについてもここで触れていきたいと思います。 日本語版『フクシマの後で』の二番目に入っている「
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