そのきっかけは2010年に走り始めた3代目スカイライナーだった。ほぼ一直線に成田空港へ達する「成田スカイアクセス線」が開業し、在来線最速の時速160キロ運転を始めた。ライバルのJR「成田エクスプレス」は東京駅~空港第2ビル駅間で50分以上かかる上に料金は少し高い。成田エクスプレスは関東の駅を網羅するなど棲み分けはできているとは言え、いまや「成田空港へ早く行くならスカイライナー」というイメージは強い。 しかし、スカイライナーの歩みは決して順風満帆ではなかった。京成電鉄とスカイライナーの歴史を振り返ってみよう。 赤い太線が京成本線、青い太線が成田スカイアクセス線(地理院地図を筆者加工) 参詣鉄道から都市近郊鉄道へと変化した 京成電鉄は都内から成田山新勝寺へ参拝する人を乗せるため建設された。1926年に押上~成田花咲町(仮駅)が開業。1930年に現在の京成成田駅、1933年に現在の京成上野駅