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  • 悪路王(あくろおう)

    2 悪路王(あくろおう) 『鳴子町史』に、延暦八年(797年)に紀古佐美を征東大使に任じ、兵五万余をもって征伐に向かわせ、衣川まで進んだが、料不足と寒気に悩まされ、結果的に阿弖流為(アテルイ)に破られ、数千人の戦死者をだして惨敗したことを示す『日後記』が掲載されているが、そこには、当時の道がいかに悪路だったかが明記されており、アテルイが悪路王と呼ばれた理由が想像できる。 左の写真は、水沢市埋蔵文化財調査センターに保管されている悪路王の首像である。 明治時代、遠野民俗学の先駆者である伊能嘉矩(かのり)氏が「悪路・赤頭・高丸・大竹丸・岩武」などの伝承を収集、更に関連する地名伝説にも触れ、悪路王を検証した「悪路王とは何ものぞ」(「遠野の民俗と歴史」・三一書房)など、資料や史料が多いが、代表的なものを列記する。 『中尊寺西光院の毘沙門堂縁起』 およそ1200年の昔、悪路王・赤頭・高丸らの蝦夷

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    fnobu 2011/02/03
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