倉島竹二郎さんの「昭和将棋風雲録」より。 分裂の最中、私にとっては忘れられない対局風景がある。 それは昭和11年2月26日、あの歴史的な悲劇二・二六事件が起こった当日のことだ。当時青山に会った将棋連盟本部で、関根名人対木村八段の臨時棋戦と土居八段対大崎八段の名人戦が行われていたが、事件の報が伝わると、あまりの大惨事に皆はしばし茫然自失の体であった。私はその朝、東京日日新聞から連盟にくる車の中から見た、宮城付近の降りしきる雪の中にいた着剣の兵士たちの姿を思い浮かべ(私は市街戦の演習とばかり考えていたのだが)これから日本は一体どうなるのだろう―と前途暗澹たる想いに胸をしめつけられていたが、やっと職業意識を取りもどして、その日の対局をどうすべきかについて皆にはかった。「さあ」と、土居さんも木村さんもあいまいな返事だったが、さきほどからじっとうなだれていた大崎さんが、まっ赤に充血した顔をツと上げる