2メートル近い台座に載った座像は遠くからでも目立ち、三条河原町の待ち合わせの定番だ。現場で待ち合わせをする人に聞いてみると、「『土下座』で通じる」と話す男性会社員や、久しぶりに友人と会う予定だという女性も「三条の像で」と約束した、と教えてくれた。学生は「周りはみんな『土下座像』と呼んでいる」と話し、木屋町方面に消えていった。 この像は誰なのか。聞いてみても首をかしげる人が多かった。しかし、「御所の方角を向いている」「京都に入る時に礼をしている姿。土下座ではない」という回答も。「知らなかったが、待ち合わせの相手に『高山彦九郎の像ね』と返事された」と答える男性もいたことから、全く知られていない訳ではないようだ。 この像の人物、高山彦九郎は1747年、上野国新田郡細谷村(現在の群馬県太田市)に生まれた思想家。寛政の三奇人(奇人は傑物の意味)のうちの一人に数えられる。13歳で「太平記」を読み、祖先
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