ご飯を奢るというのは、投資の観点から言っても費用対効果の高い投資ということができるかもしれない。 私は20代の頃から、いろいろな著名人にご飯に連れて行ってもらってきた。実のところ、そこでの会話などは全然憶えていないのだが、お店の内装やご飯の美味さだけはなぜか記憶にずっと残っている。「それって普通、逆だよ、、、」と言われたこともあるが。 その時に奢ってもらった金額というと高くても数万円だろう。しかし、飯という生きる上での根源的な行為と、しかも美味い飯を奢ってもらうという行為の背景にある精神的なオブリゲーションは、実はそれよりもずっと大きい。 先日、私はある人の照会を依頼された。そこで思い出したのだが、その人に10数年前に、あのお店であのご飯を奢ってもらったという記憶が鮮明に蘇ったのだ。当人は気づかないだろうが、結果的に私はその時の食事代の何倍もの恩返しをしたことになった。 もちろん、昔からの