1933年6月、いくつもの偶然が重なってシカゴ大学教授のドッドは、ローズベルト大統領からナチ政権下となって初めての駐独アメリカ大使に任命される。ドッドは「旧南部の興亡」というライフワークを執筆するため、大学での多忙な役職に不満を覚えていた。ハーグやブリュッセルの大使なら執筆の時間が取れるのではないかと考え、閑職を求めて政府に働きかけたのだった。しかし、運命のいたずらがドッドに与えたポストはベルリンだった。 ドッドは、家族(妻、息子、娘のマーサ)を連れて赴任する。質素な生活を送りリベラリズムを信奉するドッドは、裕福で貴族的な国務省のエリートや大使館員と端から反りが合わない。ドッドがベルリンで見つけた公邸は、裕福なユダヤ人所有の物件だった。彼はドッドと同居することで強かにわが身の安全保障を図ったのである。ナチに新生ドイツの希望を見つけようとする奔放なマーサ(既婚者であるのだ)は、ゲシュタポ局長