わが妻、卑弥呼は花粉症になりたがっていた。 どうやら、一部の人しかかかっていない、最先端の病気を患ってみたくなったらしい。花を見つけると花に顔を近づけ、鼻の内側のじめじめした粘膜に、おしべをこすりつけて、黄色い粉を受粉させ、様子を伺ったものの、まったく変化がない。 「わたしも、春なのに涙が止まらないといって愚痴をこぼしたいものだわ…」 と呟く始末だった。どうやら「幸せであるはずの春という季節に場違いに涙を流している」という状態に趣を感じたようなのだったが、花粉症の発見の経緯について思い出すと、思わず身の毛がよだってしまう。 数年前から、国の祭りなどのめでたい席でも、涙を流している人がいた。毎年春になると泣くのである。卑弥呼の虫の居所が悪い時は 「春なのに泣くなんて、縁起でもない。もう涙が出ないようにしてやるよ」 と言って、首をはねさせたりしたのだった。涙は出なかったが血が飛び散って大変だっ
十六、エピローグ 千葉島に夏が訪れ、秋に変化し、そこに冬が忍び寄ったかと思うと、また春に取って代わられた。その単調な繰り返しがどれだけ続いたことだろう。 鈴木はサチコの残した髪の毛を桐の箱に入れ、押入れの奥深くにしまいこむと、季節の移ろいにも、日々の生活にも一切無頓着になっていた。 あの日以来、毎日の虚ろな気持ちをやりすごすため、仕事に打ち込み、週末も工場に通った。髪の毛を売りに来る娘たちの相手だけは、ほかの工員にまかせた。幸い、海外向けに醤油の輸出の話もきていて、工場の景気は上向いてきていた。仕事は山のようにあったので、それに没頭しているとしばらくはサチコのことを忘れられた。 しかし、集中力が途切れたときにふと、サチコがいなくなる前の晩のやりとりがよみがえることがあった。頭の中で、鈴木は何度サチコにあの時とは違う言葉をかけたことだろう。鈴木が「ずっとこの家にいなさい」と言うと、想像の中の
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