ほしたろう| 🇮🇹で日本酒 @SAKETUBER 醸造家/能登の酒蔵で9年勤めイタリアで起業/能登地震の情報発信/美味しいものを食べるために生きている/輪島市黒島の古民家保存/能登↔︎イタリア note.com/starboyobrats
![イタリア人に「料理本にも載っていないような最もシンプルな”日本らしい料理”を食べたい」と言われたのでご飯にちょっと高い梅干しを乗せて出したらなぜか怒られた→議論が巻き起こる](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/bd19f576db96aff8b68c79ef37ffb86b822c6003/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2Fa76dbf366221fcb220b32235552e366b-1200x630.png)
たとえばユークリッド幾何学での直線は「幅をもたず、両側に方向に無限にのびたまっすぐな線」だそうですが、これも「幅」とは?「(幅を)持つ」とは?両側とは?「方向」の定義は?「無限(限りが無く)」とは?そもそも「限り」って何?「のびる」とは?「まっすぐ」とは?「線」と結論づけるのは循環論法じゃないの? と突っ込む人にとっては厳密ではなくなっていませんか? ここで、これらの言葉の意味は、国語辞典に載っている意味と同じものだよなどといおうものなら、それこそ数学の厳密性を否定したようなものになってしまっていると思います。 たとえば「方向」を調べたら「向くこと」とでます。これを調べると「物がある方向を指す」というふうに出ます。これは循環論法に陥ってますし、「物の正面があるものに面する位置にある」という別の語釈もありますが、物とは?正面とは?面するとは?位置とは?となります。これを繰り返せば結局どこかで
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