※検索サイト等からいきなりこのブログにアクセスした方へ。ここには「我々団」もしくは「外山恒一」に関する詳しい情報はありません。公式サイトへ移動してください。 「革命家養成塾・黒色クートベ」の維持、さらには教材を充実させるためのカンパを広く募集しています。振込先は、「福岡銀行 春日原支店 普通 1167080 トヤマコウイチ」です。 昨日に引き続き、しつこく鴻上尚史の『僕たちが好きだった革命』批判を。 私は演劇には(演劇にかぎらずアート一般に)まったく興味がなく、鴻上の芝居もまだ(今回のを含めて)2つしか観たことがないし、しかもいずれもナマではなくビデオで観たにすぎない。ビデオで観たって演劇を観たことにはならないのだが、ナマで観なければならない必然性をテント芝居以外で感じたことはないので、べつにヒケ目もない。前に少し触れた『焼肉ドラゴン』にしても今回の鴻上のにしても、なんでわざわざ膨大な練習
二日ぶりに学校に来て自分のブログを開くと、すごいことになっとる。やったね!ブクマ自己新更新♪……と喜んでもいられないことを、コメント欄とブクマページを開いて気づく(それにしても更新する度にページビューが何十も増えているのは、初体験だが不気味である)。 正直、読んでいてがっかりした。うんざりである。最近わけあって村上春樹の作品を読みあさっているのだがまさにこの状況、村上春樹的な「やれやれ」、である。 ちゃんと読んでもらえれば、冒頭の「伯父の家族エピソード」というのは話の導入部にすぎず、「僕の問い」の本質は後半に集約されることがわかってもらえるはずだ。なのに、書いた本人としてはどうでもいい(もっと言えば無くてもよい)前半のエピソードの枝葉末節をあげつらっての批判が大半ではないか。僕はこの状況に、うんざりする。「木を見て森を見ず」とはまさにこのことではないだろうか。 「読みの多様性」や「創造的な
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