http://d.hatena.ne.jp/toled/20081213/p1 はてなダイアリーは書いてないしTwitterは文字数制限あるしで、他に書くとこ思いつかなかったんで増田に書くよ。 本来の受講対象者である(ってあずまん言ってた)「東京工業大学の学部2、3年」です。数少ないらしいですけど。 別に彼のフォロワーではなく、現代思想のこともほとんど知らず、興味本位で取ってみたら話が面白かったので、というくらいの気分で受けています。 一応言っておくけど僕個人の話。 正直言って授業遅らせられるのは結構迷惑だし、 授業の流れ止めてまで活発に質問する権利は学費によって与えられてるもんだと思うし、 来ても数人かなーとか思ってたらドアの前に十数人立ち往生してて正直少し引いたし。 でもこの件でやっちゃいけないことしたのは東浩紀の方な気もするんだよなあ。 blogでは明らかに「こねーのか腰抜けども」と
いきなりビックリ予告in! 次は、トラメガを持って東工大に行きます。 参考VTR (YouTubeが技術的に見れない諸君、視覚障害者の諸君、ごめんな。気になる場合は「素人の乱 3人デモ」でググってくれ。) わはは、今日は楽しかった。やっぱり現場に行くべきだよね。っていうのは言い過ぎかな。だって人にはいろいろ事情があるし、金とヒマが必要になる。だから他人に対して「現場に行け」とは言えない。ロト6が当たったら札束渡して言うかもしれないけど。ただ、僕は今日、超ウルトラ現場現場した現場体験をしたんだ。なんと言っても、ポストモダニズムを実感したからね。今まで文字情報といっしょうけんめい格闘して何度も挫折したけど、実は、現物があるんだよ。 どこに? 大岡山に。 たらーん! 見よ、これがポストモダンだ! [東京工業大学大岡山キャンパス] 僕は、この中に入ったよ。 すぐに灰を探した。灰はなかった。 ただ、
東 世界にはいろんな立場の人がいます。たとえば、南京虐殺があったという人となかったという人がいる。ぼくは両方とも友達でいます。このふたりを会わせて議論させても、話が噛み合わないで終わるのは目に見えている。なぜならばふたりとも伝聞情報で判断しているからです。歴史学者同士なら生産的な会話は可能でしょう。しかしアマチュア同士では意味がない。(中略)ちなみにぼくは南京虐殺はあったと「思い」ますが、それだって伝聞情報でしかない。そういう状況を自覚しているのが、大塚さんにとっては中立的でメタ的な逃げに映るらしいですが、それはぼくからすれば誤解としかいいようがない。 大塚 南京虐殺があると思っているんだったら、知識人であるはずの東がなぜそこをスルーするわけ?知識人としてのあなたは、そのことに対するきちんとしたテキストの解釈や、事実の配列をし得る地位や教養やバックボーンを持っているんじゃないの? 東 そん
何事もなかったかのように更新。 http://yaplog.jp/sennheiser/archive/17 http://yaplog.jp/sennheiser/archive/18 こちら経由で(面白かったです。このエントリの内容も触発されたところが大きいです)、 http://www.hirokiazuma.com/archives/000460.html こちらを読む。 古い読者なら知ってると思いますが、実際にはぼくはそのあと、さまざまなところから「東はアニメがわかってない」と叩かれ、某ライター氏からは、面と向かって「あなたの存在自体迷惑だから、今後オタク関係について語るな」と罵倒されたりすることになります。というわけで、やべえ、この業界まじで怖いわ、と思って、アニメ業界からは微妙に距離をとることにしてきた(そしてその結果、美少女ゲームとかライトノベルについて多く語るようになった
今日のNHKクローズアップ現代が、一体なぜに全体どういう理由でかこのタイミングで村上隆特集だったので、アートとオタクの門前の小僧の一人としてとりあえず見た。 村上隆の「ビジネス戦略としてのアート」をまとめたあたりはわかりやすく、何というかネットでよく見るライフハック記事の特集を読んだような気がした。 かつ、何年か前の奈良美智とセットになってた時のクローズアップ現代に写っていたサティアンのような製作用スタジオはすっかりグレードアップし、そのままホワイトキューブ(美術館)として使用することもできるんじゃないかというレベルになっていた。 だがそこで、村上作品を完全分業制で制作するために「いきいき」と働いている若者の姿は依然変わらず、正社員なのだろうけど、どこか非正規雇用を思わせるものだった。 そして、ロシア・中東の石油バブルとアメリカ・ヨーロッパの住宅バブル、そして中国の開発バブルに支えられてい
「動物化」という新時代宣言 東浩紀を象徴する言葉といえば「動物化」でしょう。「動物化」という考え方は既存言論のカウンターと位置づけられます。日本の言論文化には文化サヨ的(主知主義的)な傾向が根強く残ります。「世界を理解しつくし世界を設計しなおせる。」このような傾向は東の登場前にすでに時代遅れなものと考えられ、パロディ、アイロニーへの転倒が行われていました。しかしこのような転倒さえ重たい。そこにはまだ言葉(思想)への執着がある。すでに若者はもっと軽く、世界にアディクションしていると訴えたのが東の「動物化」です。 これは社会への訴えというよりも、言論文化への訴えの意味が大きいでしょう。それまで時代の寵児とされていた浅田や宮台なども、もはや新たな若者文化からはズレているという新たな世代の言葉の到来を宣言したといえます。 そしていつの時代も一定数いる言論少年たちはいままでの言論を言語過剰で古いもの
読者を選ぶ対談集である。副題にある「おたく/オタク」という表記、これはある意味で試金石になっていて、この書き分けにピンとこない人は本書の想定読者からはたぶん外れるだろう。 「おたく」は大塚英志がこだわっている表記で、彼の論では「おたく」と「オタク」は厳密に使い分けられる。それがどんな議論かには踏み込まないが、ようするに「おたく」は大塚を、「オタク」は東浩紀を表象しており、この副題は「大塚英志/東浩紀」と読み替えることが可能だ。 その程度の解読を(当人が意識するか否かに依らず)やってのける素地を持った読者、つまり、大塚英志や東浩紀、および彼ら界隈の人たち(対談中に頻繁に名前のあがる宮台真司やその影響下にある若手など)が織りなすサークルに「萌える」人々が本書の想定ターゲットということになるだろう。 まあ、狭い。とはいえ、本書は発売後すぐに1万部の増刷が決まったそうで、それくらいの市場は抱えてい
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