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2010年11月21日のブックマーク (4件)

  • アニメ監督・北久保弘之氏の脚本講座

    佐倉 大 (北久保弘之) @LawofGreen ウシ!予告通り今夜は基礎中の基礎の脚講座ナリー。アニメーションのテキストに比べるとシナリオのテキストの方が圧倒的に入手し辛い。古くは別冊宝島のシナリオ入門から最近ではシド・フィールドのシナリオ術辺りが入手可能なテキストなのだが、俺の知る限り「当に肝心な基礎」は書かれていない。 2010-11-19 23:28:13 佐倉 大 (北久保弘之) @LawofGreen 今から話す事は当は「にして出版したい」と思ってたのだが、余りにも「基礎が成って無い」現実にゃーもうウンザリなので仕方無くツイートする。何で誰も基礎中の基礎に触れないのか謎だが脚には「実は書いて良い事は3つしか無い」のだ。1:状況描写。2:物理現象。3:台詞。たったコレダケ。 2010-11-19 23:36:50 佐倉 大 (北久保弘之) @LawofGreen では先

    アニメ監督・北久保弘之氏の脚本講座
  • 悲しい忘却 - こんぷれいんつ・ぶろぐ(運休中)

    涼宮ハルヒが好きだ。 でも四年もの歳月は作品を忘却させて、 スキャンダラスな話題たちが、 それに泥を塗った。 - 1.終わったコンテンツはゴミ箱へ。なら、ささげた愛はどこへ行く? ここ数年で一度に放送されるアニメは激増したように思う。ジャンルは様々あるしそれ自体はまったく良いことだと思う。けれどそれと同時に視聴者の作品消費、代謝が早くなっているようにも感じた。 水星氏の言葉は一度は誰もが考えたと思う。けいおん!は終わってからまだ間もないし、しかもまだ劇場版がある。すぐに廃れるようなものではない。だが、劇場版までに新たな作品が続々と生まれ、既存のコンテンツは徐々に鮮度を失っていく。きっとどんな作品も二年もたてば「終わったコンテンツ」だ。それが三年もたてば、 らき☆すたはなぜ消えたのか?(リンク先閉鎖) こういう話題として扱われるようになる。記事の内容もさることながら、真性の「らき☆すた」ファ

    悲しい忘却 - こんぷれいんつ・ぶろぐ(運休中)
    frog78
    frog78 2010/11/21
    こういうふうに感じるファンの声が大きければ「終わる」だろうな。
  • とあるアルファブロガーのSophisterei(詭弁)――あるいは正統的な暴力も暴力であることについて - 過ぎ去ろうとしない過去

    はじめに結論から書いておこう。「国家が暴力を独占する」の意味は、国家が自らの暴力の行使に対してのみ、正統性を付与するということである。国家というのは、征服によるものであれ、共和主義的な統合によるものであれ、その集団がある領域内を実効支配した時点で、定義上、その領域内には少なくとも国家に匹敵しうるような暴力を行使可能な集団は存在していないはずである。だが、国家はなお支配のために「暴力を独占」する。それは、自前の暴力組織にのみ正統性を与えることによってであって、そうやって正統性を与えられた暴力組織を「軍隊」や「警察」と呼ぶ。ウェーバーによればその正統性の源泉は、近代国家においては「合法性」である。その正統性(=合法性)に基づいてはじめて、政府は国家内の自律的な暴力集団を規制したり弾圧することができるのである。 軍隊や警察は、人を殺しうる力を持っている。たとえ侵略軍から「国家を防衛」するためであ

    とあるアルファブロガーのSophisterei(詭弁)――あるいは正統的な暴力も暴力であることについて - 過ぎ去ろうとしない過去
  • 自衛隊ではなく国家が暴力装置だから国民は安心して暮らせる: 極東ブログ

    わかりやすく書いたつもりだったのだが、昨日のエントリー「自衛隊は暴力装置ではない。タコ焼きがタコ焼き器ではないのと同じ」(参照)はあまり理解されていないようだった。これがわからないと、近代国家の意味やシビリアンコントロールの意味が理解できないことになる。それじゃ困るなと思うので、もう少し補足しておこう。 社会学的なものの考え方は慣れていない人には難しいのかもしれない。典型的な無理解として、例えば、いただいたはてなブックマークコメントにこんなのがあった(参照)。 hokusyu あたまがわるい, 暴力 詭弁w。存在自体が暴力であるという言い方は可能だが、ふつうはある力の行使のことを暴力というのであり、その暴力(乱暴な力)をふるうApparat(組織体/装置)が自衛隊や警察ってことで、日常言語でも普通に理解できる 2010/11/19 54 clicks 18 「存在が暴力」というのは文学なん