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ブックマーク / tikani-nemuru-m.hatenablog.com (6)

  • 社会常識としての日経「たわわ」問題(追記済 - tikani_nemuru_M’s blog

    1 承前 b.hatena.ne.jp 国連女性機関(以降UN)と日経の件について、あまりにひどいことになっているので簡単にまとめておく。 UNは「アンステレオタイプアライアンス」という運動を行なっている。 これは男らしさ・女らしさなどの性別役割・性別イメージのステレオタイプ(型通りのきまりきった表現)を広告で使うのはもうやめよう、という趣旨の運動で国連機関の主導で行われている。 概要は以下の通り。 2017年にカンヌライオンズ 国際クリエイティビティ・フェスティバルにて発足したUnstereotype Alliance(アンステレオタイプアライアンス)は、UN Women(国連女性機関)が主導する、メディアと広告によってジェンダー平等を推進し有害なステレオタイプ(固定観念)を撤廃するための世界的な取り組みです。アンステレオタイプアライアンス日支部は、2020年5月に設立されました。 企

    社会常識としての日経「たわわ」問題(追記済 - tikani_nemuru_M’s blog
    frothmouth
    frothmouth 2022/04/17
    「(ネガティヴチェックであることは)一目瞭然」ではないですね/「私が、私の中の社会常識に照らして一目瞭然だと思った」なら合っている/「あいつらは常識がない、私たちはある」は言説の正しさを保障しません
  • いつから「表現の自由」の問題と思っていた? - tikani_nemuru_M’s blog

    千葉県警が児童向けの交通啓発PR動画を作成し、抗議を受けて削除した問題。 表現の自由の侵害だ、などと言われているようである。しかしこの問題にはそもそも「表現の自由」などは関係ない。 その理由を説明する。 1 表現の自由とは国家に対する個人、公権力に対する私人の自由である。これは表現の自由における基のキの字といえる。 発注者の千葉県警は公権力サイドそのものであり、私人の自由である表現の自由があるはずもない。今回は警察という公権力の典型であるからわかりやすいが、基的に公的機関には表現の自由はないといえる。なぜなら公的機関とは法によってその存在根拠が示された機関であり、日国憲法や国際条約に反する思想を持つことは許されない。法人には内心の自由もない。思想の自由も内心の自由もないから、それらを担保する表現の自由もない。 もちろん、発注者に表現の自由がないのだから発注者の代理である製作者にもない

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  • 宇崎ちゃん献血ポスターは失敗。しかし撤去してはならない。 - tikani_nemuru_M’s blog

    タイトルを少し変えたが、前回記事の後編である。 前回記事の反応をみて、血液という公共財の特殊性から丁寧に説明する必要を感じた。長くなるが、まず血液という財の特殊性から説明し、このような特殊なものを取り扱う広告で何が求められ何をしてはならないかを論じることにする。それによって「宇崎ちゃんは遊びたい」献血ポスターの失敗を明らかにする。 1 そもそも 血液の供給を増やしたければどんなキャンペーンより確実な方法がある。それは血液の売買を認めることである。売血を認めれば、間違いなく血液の供給が増えることは、誰しも直感的に理解できるだろう。だがWHOによっても採択された国際輸血学会の倫理綱領(PDF注意)にもあるとおり、売血が不適切であることは国際的に合意されているといって良い。なぜだろうか? 血液という公共財産の特徴を列挙してその理由を考えてみよう。 1,血液は輸血用製剤として、あるいは血液を原料と

    宇崎ちゃん献血ポスターは失敗。しかし撤去してはならない。 - tikani_nemuru_M’s blog
    frothmouth
    frothmouth 2019/10/28
    🙂 血液の質と量を見込めるのがオタク層なのでは
  • 宇崎ちゃん献血ポスターはなぜ「失敗」なのか(前 - tikani_nemuru_M’s blog

    「宇崎ちゃんは遊びたい」献血ポスターは表現の自由の観点から論じられるべきではない。公共広告として成功なのか失敗なのかの観点で考えられるべきである。そして、この観点からはこのポスターは完全に失敗である。 以下に、なぜこの問題が表現の自由の観点から論じられるべきではないのかを今回、なぜ公共広告として失敗なのかを次回に述べる。 1 ・『宇崎ちゃんは遊びたい!』献血ポスター問題を考える リンク先は丁寧な論考であり、ブクマも多く、おおむね好意的に評価されているようである。僕も全体的な論旨に賛成する。良い論考であるので、紙屋の助けを借りながらすすめよう。 「公の場の表現だからいけない」という意見について。 市民の批判を受けて、大勢の人がよく見るような表現(駅のポスターなど)を撤去することはある。しかし、それはあくまで作家や民間団体の自主的な判断に過ぎない。作家や民間団体は表現の自由を行使して、表現を公

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    frothmouth
    frothmouth 2019/10/22
    読まなくても良いようだ
  • 労働者が与党をあてにできないリアリズム - tikani_nemuru_M’s blog

    前回記事(なぜ労組は政治活動をしなくてはならないのか(追記アリ - tikani_nemuru_M’s blog)の追記のとおり、ブクマコメなどに応答する。なんか長くなりそうなので数回にわけることになる。 「なぜ労組は護憲だの平和だのをやるのか」について前回の説明は確かに少々不親切なものであったのでそのあたりを掘り下げたいのだが、今回はその前提となるところを述べることになる。 1 前回記事への反応でもっとも多かったのは、 id;norinorisan42 基質的な部分はわかってるので「何故優先順位や力をかける熱量が我々の求めるものと違うのか」このあたりで労働者たちの信用を得られていないことが今の労組の問題点じゃないのかな? に代表される「労組に政治活動が必要なのはわかってるんだよ。ただ、リソース配分がおかしいだろ」というものであった。 これは当然の反応だ。僕も前回結論部で書いたとおり

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    frothmouth
    frothmouth 2019/05/13
    🤔 うーむ
  • なぜ労組は政治活動をしなくてはならないのか(追記アリ - tikani_nemuru_M’s blog

    承前 https://anond.hatelabo.jp/20190504184608 https://anond.hatelabo.jp/20190507164856 「労働者としての権利を主張したいけど平和運動政治運動は別にしたくない」って労働者の立場は? なんで混ぜるの? と増田はおっしゃる。 上記増田だけでなく記事へのブクマも含めて、「労組が政治活動をするのは当然であり、政治活動は労組の分ともいえる」という道理がわからない人が大量発生しているようなので、その理由を述べてみよう。 1 以前にも何度かはてダのブログにも書いたが、僕は地方都市のユニオンにかかわっている。 ユニオンに労働問題を持ち込んでくる人たちは、基的に零細企業や派遣、非正規雇用の労働者が多く、相談内容はパワハラ・セクハラ、不当解雇、有給取得などに関するものが多い。リンクした増田のいっている意味で、組合員の現実的な利

    なぜ労組は政治活動をしなくてはならないのか(追記アリ - tikani_nemuru_M’s blog
    frothmouth
    frothmouth 2019/05/09
    なぜ労組は政治活動をしなくてはならないのか - tikani_nemuru_M’s blog
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