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フェミニズムに関するfujikomaのブックマーク (8)

  • フェミニストを自称する友人が申し訳なさそうに結婚を報告する - 腐フェミニスト記-801 Feminist Diary-

    日記 わたしの周りで、「フェミニスト」と「フェミニズム」という言葉は苦笑いの対象になりすぎている。「そんなの気にしなきゃいい、おまえが堂々としてればいいじゃん!」と後ろからどんっと背中を叩かれる。 うっと、息が詰まって、逃げ道がなくなってしまう。 堂々とできないから、フェミニズムを目当てに歩いてきたのに。 数年前、フェミニストを自称する友人が「私、結婚したの...」となぜか申し訳なさそうに電話してきたことがあった。理由を聞けば、引っ越しをしたいがなかなか家を借りられなかったという。http://web.icu.ac.jp/cgs/2010/10/post_44.html わたしはこの文章を読んだとき、家を借りる借りないよりも「フェミニストを自称する友人が申し訳なさそうに結婚を報告する」というシュチュエーションに今のフェミの状況を感じ取ってしまった。 それはそのまんま、わたしの立場を表してい

  • WEB評論誌「コーラ」4号/「新・映画館の日々」第4回:私たちは「表象の横奪」論をほってはおかない

    やおい/BLは、主にレズビアン/ゲイ・スタディーズの分野から批判的に評価されてきた。ゲイにファンタジーを押しつける、ゲイを「一角獣のような幻の存在」として描いており「不愉快」である、男性同性愛者の性を商品化した差別表現であるなどと批判されてきた。これらをまとめて表象の横奪(the appropriation of representation)の問題と呼んでおく。 (石田仁「ほっといてくださいという表明」 『ユリイカ』2008年12月臨時増刊号 総特集BLスタディーズ)> 1 それは〈私たち〉にとって何であるか 稿の表題はエピグラフとして引いた石田論文への応答というよりは軽くガンつける挨拶するくらいのつもりでテキトーにでっち上げられたものだが、ここでいう〈私たち〉とは、論文に慣用的に使われて嫌う人もいる(私はけっこう好き)一人称複数ではなく、具体的な二者を指している。むろん、読む人は

  • WAN - 「払えない? もらえない? 税金 年金」に参加して ちびがえる

  • バクシーシ山下の本は、つまらなくて、ひどい-ソウル・ヨガ(イダヒロユキ)

    ニックネーム:イダヒロユキ 伊田広行 都道府県:大阪府 HPはhttp://www.geocities.jp/idadefiro/過去ブログへはカレンダーの〈 〉記号やカテゴリーから。 »くわしく見る バクシーシ山下っていう、AV監督のは、つまらなくて、ひどい バクシーシ山下というAV監督が「よりみちパン!セ」というシリーズで『ひとはみな、ハダカになる。』というを出版した。 そのの回収・絶版を求める運動が起こっている。その要望書を一読して、基的に私は賛成だとおもった。 「回収・絶版」がいいかは微妙なところで、むしろこの監督のこれまでのひどい言動(作品)をあぶりだし、性に関わる議論が巻き起こり、実質上性暴力への批判意識(ひどい作品へのリテラシー力)が高まることが望ましい、対抗的なすばらしい関係性、豊かな性とはなにかという議論が広がることが理想的だと思うので、どこかで急にこ

  • フェミニズムと臨床(4/6) | 東京の心理カウンセリング|斎藤学メッセージ

    2018年1月23日 斎藤学(家族機能研究所) 上野さんには、この会を非常に実りあるものにしてくれるような質問を出していただきまして、ありがたく思っています。早速、最初のご質間からとりかかっていこうと思います。 臨床については、さっき言ったように「ヴァリュー・フリー」とよく言うのですが、これは例えば殺人を犯した男の殺人行為を含む行為について、法律家がそれに対して考えるような考え方をしないというぐらいの意味です。臨床家は人に対してそのようにかかわることが期待されています。 フロイディズムがこの現象に含まれる限り、いつでもフロイディアンの考え方が1つの価値をもって、足を引っぱるだろうというお話でしたが、私はフロイトの影響は、そんなに強いものではないだろうと思っています。臨床という言葉を「サイコセラピー」に限れば、たしかにフロイトはその源流といっていいのですけれども、「臨床」といった場合、一方で

  • http://www.webfemi.net/?p=716

  • 笑おう、憤りと皮肉と拒絶とをこめて - FemTumYum

    そんなわけで、既に今年になって二もエントリをアップしているので(そしてその時点で昨年の更新数を抜きました。ブログというより完全に跡地です)、今更ではございますが、みなさま新年おめでとうございます。 新しい年をぱっと華やかに滑り出し、年もへたれ机上フェミとして明るく楽しく生き延びて行きたいものだという夢と希望をこめまして、新春のイチオシフェミイベントであると前評判しきりの爆笑トークを鑑賞してまいりました。 新春爆笑トーク 上野千鶴子vs澁谷知美「男(の子)に生きる道はあるか?」 結論から書いてしまうと、当にもう、フェミにとって笑いは大切よね、わたくしたち笑わなくてはいけないわよね、笑いってこういう時に否応なくこみあげてくるものよね、という、いわばフェミ的笑いの原点、シクスー的な「メデューサの笑い」の原点へといざなわれる、そういう経験でございました。 死から抜け出すには、はじけるような笑

    笑おう、憤りと皮肉と拒絶とをこめて - FemTumYum
  • 女の体で笑うということ - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    1 「女性が一流の芸人になれるのか?」という問いがある。関西に住んでいると、吉興業という会社はとても身近だ。朝から晩まで、テレビでは吉の芸人が出ている。子どものころから、友達のお兄ちゃんやクラブの先輩が「吉のお笑い専門学校に行った」「ライブで漫才をしているらしい」という話を、耳にする。大人になれば、芸人との合コンがあると聞く。「将来は、吉いけるんとちゃうか?」と言うのは、クラスの人気者への褒め言葉だった。 そんな中で、「女は最後の最後まで、裸になれないから、一流の芸人にはなれない」という言葉も聞く。それは、物理的におまんこをさらせないことだけを指していたのではないだろう。いずれ、恋をし、子どもを産んでいく女性は、どこかで「恥じらい」や「常識」を身につけていかなくてはならない。結局、生涯を破天荒に歩める豪胆な男には勝てない。そんな響きも持っていた。 ネット上で、懐かしいような文章を書

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