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ブックマーク / lessor.hatenablog.com (3)

  • 「子どもの貧困」対策を「障害児」の支援者が見たら - 泣きやむまで 泣くといい

    貧困のなかでおとなになる 作者: 中塚久美子出版社/メーカー: かもがわ出版発売日: 2012/10/01メディア: 単行この商品を含むブログ (1件) を見る ひょんなことからひとり親家庭の支援に関わることになりそうで、読んだ。 これまでも「当たり前の暮らし」とは何だろうか、と仕事の中で考えさせられてきたけれど、子どもの貧困についても同じだ。 「医療」のような生存に直接関わってくるものを欠けば、誰もが問題だと思う。しかし、たとえば「教育」はどこまで必要か、と言われれば、よくわからなくなる。 「そんなことはない。ほとんどの子どもは高校ぐらいまでは進むのだから」と言われるだろうか。それでも、高校で学んだことが実社会で役立つから高校に行くのではないと思う。将来に向けて具体的な夢や目標があって、そのために必要な勉強をしよう、でもない。 社会に出るには、大学に行ったほうが有利だ。大学に行くには、

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    fujikoma
    fujikoma 2015/04/19
  • 「エンパワメント」はなぜ求められたのか - 泣きやむまで 泣くといい

    この数週間のあいだに聞いた話や読んだものから考えたことだが、誰かが対人援助における「エンパワメント」とか「ストレングス」の歴史社会学的な研究をすべきだと思う(既に格的にやっている研究者がいたら、ごめんなさい)。読んだものなどを具体的に引用などしながら文章にする時間も気力もないので、以下はメモ程度。 日においては、ある時期から「エンパワメント」等の言葉が海外から紹介され、よく用いられるようになった。「その人がもっている強みに注目しよう」とか「その人自身が主体的に生きられるようにしていこう」という言説は、なぜ普及してきたのか。 例えば「エンパワメント」の強調は、社会福祉が抑制される中で生活上の課題を少しでも自力で解決してもらわなければ困るようになってきたからだ、という人がいる。介護保険のように利用できる支援の上限が決まった制度が多く利用されるようになったのが良い例だ。「エンパワメント」ブー

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    fujikoma 2014/07/11
  • 「こんな迷惑をかけられた」からの差別は手強い - 泣きやむまで 泣くといい

    グループホーム開設反対運動の件は、一日待ったら追加取材の記事がNHKから出てきた上に、自分がブログで紹介しようと思っていた調査を行なった研究者までその記事中に登場。なんというタイミング。 相次ぐ障害者ホーム反対の背景は http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2014_0127.html 調査結果については、twitterで少し紹介したが、量的調査が難しい領域だとも思う。どのように変数を設定すれば、コンフリクトが生じやすい「地域」像を浮かび上がらせられるのか。「新興住宅地」で多い、というのは何となくわかるが、個々の懸念や不安が大きな運動へと変わっていくダイナミズムを説明するものにはなっていない。「世代」もどのぐらい影響しているのか。良質な事例研究をたくさん読みたいとも思う。 解決策が「仲介者」に求められるのは事後対応として仕方ない。一方で、この種の話題

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    fujikoma
    fujikoma 2014/01/28
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