湾岸戦争直前の1990年にイラクで人質にされた日本人の解放をめぐる、当時の中曽根元総理大臣とフセイン大統領の会談内容が、公開された外交文書で明らかになりました。 中曽根氏が日本は中立的な立場だと強調し、和平交渉に協力する姿勢を示しながら、解放を働きかけた様子がうかがえます。 今回、公開されたのは、1989年から1991年に作成された外交文書で、1990年8月のイラクによるクウェート侵攻で湾岸危機が起きた前後の極秘扱いとされていた公電なども含まれています。 クウェート侵攻で起きた湾岸危機の際、イラクは、軍事行動の構えを見せるアメリカなど各国に対し、外国人を人質にとって対抗し、攻撃目標になり得る石油施設などに拘束したことから“人間の盾”とも呼ばれ、日本人も213人が人質になりました。 公開された外交文書では、クウェート侵攻から3か月後の11月に人質の解放交渉のためにイラクを訪問した中曽根元総理
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