日本航空(JAL)と野村総合研究所(NRI)は11月29日、羽田空港から日本国内の“どこか”の空港に、通常の半分以下の6000マイルで行けるサービス「どこかにマイル」を12月12日から提供すると発表した。JALマイレージバンク日本地区会員向け。 通常は1万2000マイル以上かかる国内線の往復券が6000マイルで交換できるサービス。ただ、行き先の空港は、申し込み時に提示される4カ所の候補から、いずれか1カ所がランダムで決まる仕掛けだ。候補の組み合わせは何度でも選び直せる。 申し込みはJALのWebサイトから。利用日(往路搭乗日の1カ月前から7日前まで)、時間帯、人数(4人まで)を入力し候補を選んでおくと、3日以内に行き先決定の知らせが届くという。「これまで必要マイル数を満たせなかったユーザーの旅行機会を拡大し、地域活性化につなげたい」(両社)。 関連記事 「お客様の中にお医者様は……」を事前
日本の労働環境はあんまり良くないって話がある。労働環境だけじゃなくて、若者が金に困ってるだとか色々な問題が存在している。 それを産み出している制度や環境がゴミみたいなものだったとして、それじゃなんで今の日本が一応は先進国っぽくなってるのかっていう疑問が湧いてくる。日本の近代を眺めてみると、いろいろかなりヤバかったけど、なんとかかんとか切り抜けてきている。ずっと一貫してゴミ環境でやってきたんだったら、日本はゴミみたいな国になってたはずだ。 なんでゴミみたいな環境なのに先進国になっているのか、適当に考えただけなんで適当なこと書くと、次の二つの理由が思い付く。 当時は諸事情でそうせざるを得なかった そしてある時期まではその手法が通用していた 例えば日本の長時間労働はわりと昔から問題になってるんだけど、ある時期まではそういうのも徐々にきちんとしていこうなぁっていう話はあった。なんで徐々にきちんとし
「イギリスへ行くまえに、これ読んでください」と友人が貸してくれたジョジョの奇妙な冒険。あっという間に6部まで全巻読破してしまいました。 さて11月、グルメ仲間数名と北イタリアを横断しつつレストランを巡る旅をしました。今回はその旅程にヴェネチアがあったので「ジョジョの聖地じゃん」とせっかくだから巡礼してみたレポです。見出しに巻数を記載しますので、コミックスを開きつつどうぞ。ただしネタバレ注意。 ※これ以降、引用文献の出典はすべて『ジョジョの奇妙な冒険』から 波紋教師リサリサ(8巻) ジョジョとイタリアといえば、真っ先に5部「黄金の風」が思い浮かぶはず。ですが実は2部「戦闘潮流」がヴェネチア初シーン。ジョセフ・ジョースターが師匠となるリサリサへ会いにきます。 ジョセフ:ぬあんだァ~~~~~!このヴェネチアって所は観光都市じゃねえのか? 修行するっていうから おれは てっきり 山奥かどこかに こ
「桃園 享保の頃此辺の田畝に悉く桃樹を栽しめ給ひ、其頃台命によりて此地を桃園と呼ばせ給ひしよりといへり。今も弥生の頃紅白色をまじへて一時の奇観たり、此地に大将軍家御遊猟の時の御腰掛の地あり。又岡の前を流るゝ小川に架せる橋を石神橋と唱ふ。」(「江戸名所図会」) 「新編武蔵風土記稿」の記述はより詳細で、それを年表風に要約すると次のようになります。元禄8年(1695年)上地となり御囲設置、宝永6年(1709年)御囲廃止、享保年中(1716~35年)吉宗たびたび遊猟に訪れる、同20年(1735年)御立場設置、紅桃50株に白桃も交えて植樹、元文元年(1736年)松を植樹、麓よりの道開削、同3年(1738年)6万7千余坪に緋桃150株植樹、寛保3年(1743年)御立場の後ろに大名山を築く。このころが最盛期で、茶屋11軒が軒を並べ、庶民の行楽スポットとしてにぎわったそうです。 ・ 「中野村桃園図」 「
ぼくは『ダイの大冒険』を読んで育った世代なので三条陸先生と稲田浩司先生のコンビが描く『冒険王ビィト』の復活に心が躍ったものです。 で、最新13巻では強敵にトドメを刺さず「いつの日か君は倒れた敵に手を差し伸べ許すだろう♪」的なアニメ『ダイの大冒険』OPのような展開をやりました。 んで、「クロコダインやヒュンケルのようなここぞって時に助太刀してくれる元強敵のポジション」になるだろうと書いたら、以下のようなコメントを頂きました。 おっさんは仲間になったら弱体化の影響が強すぎて元強敵といわれても ?ってなるんだけど まあ、分からんでもないです。 クロコダインといえば『ダイの大冒険』のカマセ犬の代名詞でもあるし。 仲間になってからのクロコダインはほとんどやられてばかりでしたしね。 しかし!しかしである! 私はあえて反論したい。クロコダインはそこまで雑魚じゃねえだろと。なんかヤムチャやデスマスクと同列
→ 「東京近傍図」を見ると、三味線橋の次に描かれているのは慈眼堂橋で、これも青梅街道から分岐した「薬師みち」に架かっています。宝仙寺横で青梅街道から分岐、左岸に渡ったあと左折、右折で北西に向かい、途中三味線橋からの道と合流します。大正5年発行の「豊多摩郡誌」では「新井道」となっていて、三味線橋経由の「谷戸道」に対し、こちらのほうが本線扱いで、現在の印象とは異なります。なお、同誌の橋梁リストでは「慈眼堂橋 水流及び所在地 善福寺分流、新井道(仲町) 構造石造 延長1.33間 幅員2間」となっています。 ・ 慈眼堂橋 昭和8年(1933年)の「中野町誌」では、「橋長5.76m 幅員5.45m 橋種木橋」となっていて、区画整理時、石橋から木橋に架け換えられました。
機動武闘伝Gガンダム 最近、作業用のBGVにGガンを使っていた。 本放送時にほとんど見ており、今回見直しても感想は同じだった。 TVシリーズのガンダムの中では、1stガンダムの次に好きなガンダムだが、色々問題点も多い。だがぶっちぎりでいい部分もある。いい部分だけに着目したいところだが、重箱の隅を絨毯爆撃してしまう悪癖。 以下、ネタバレありありで書くので気にする人は周り右で。 古いのでもういいだろうが。 ■あらすじ 1stガンダムとは直接の関係のないガンダムである。世界観につながりはない。 地球上の各国は、汚れた大地を捨て複数の宇宙コロニー国家となった。ネオ**と名乗っている。(例:ネオジャパン、ネオアメリカ) 紛争解決手段として、4年に一度、地球を闘いのリングとして各国がルールにのっとってガンダムを戦わせて、その勝者が世界の主導権を得るという「ガンダムファイト制度」が用いられる。 地球に取
昨日の記事は私の現状認識が異常すぎたため、ちょっと分りにくいものになってしまったみたいです。そんなわけでより分かりすくなるように頑張って箇条書きにしてみました。 近代の資料は扱いが難しいです 昔は色々な人がいて様々な状況がありました 普通の人が資料を検証するのは難しいと思います だから異常な時代もあったって知っておきましょう 近代の資料は扱いが難しいです。いつの時代でも難しいのは変わりないんですけど、近代よりもう少し昔の資料になると、現存する全てのテキストを読もうと思えば読めます。しかし印刷技術が発達し教育の質が向上し書き手が増えた時代になるとそれは無理で、大量の資料があります。一分野のみに限定しても全てを読むのはかなり難しい。だからプロであってもわりと間違えます。 私は趣味で昔のこと調べてて、たまには論文なんかも読むんですけど、本職の人でも間違っていることがわりとあります。資料にあること
『マタイによる福音書』や『ルカによる福音書』に記されている、キリスト降誕のシーン。ヨセフとマリアが家畜小屋の飼い葉桶にキリストを寝かせ、天使に降誕を告げられた羊飼いが訪れる。東方の三博士もまた星に導かれてイエスを礼拝しに来る、というものだ(※諸説あり) もしこの降誕が、今この時代で起きたら…。 スタバのカップをもったマリアがアヒル口で自撮りをし、羊飼いはSNSをしながら、イカしたセーターを着た羊をつれて来る。 三博士はアマゾンの箱をもってセグウェイに乗り、キリストのソーラーパネル付きの小屋を訪れる。そんなヒップスターなキリストの降誕フィギュアセットが販売されている。 1. この画像を大きなサイズで見る 2. この画像を大きなサイズで見る 3. この画像を大きなサイズで見る 4. この画像を大きなサイズで見る 5. この画像を大きなサイズで見る 6. この画像を大きなサイズで見る 7. この
桃園橋に戻り、桃園川緑道を先に進みます。すぐに右カーブで再び東に向きを変え、そのまま350mほど直進です。ところで、→ 「東京近傍図」では、この直線区間で本流が途切れ、左岸流が連続して本流のように描かれています。「東京近傍図」のベースとなった「迅速測図」を見ると、丁度二葉の地図のつなぎ目に当たっていて、どうやらつなぎ間違えたようです。上下をずらして右岸流を連続させれば、→ 「中野村絵図」 などの描く本来の流路となります。 ・ 桃園川緑道 中野通りを越えた先で、桃園川緑道は右カーブで中野総合病院の横に出ますが、そこに架かっている橋が橋場橋です。 「中野の地名とその伝承」(昭和56年 中野区教育委員会)によると、桃園橋は将軍御成のたびに、専用の橋板に取り換えたのだそうです。その橋板を保管する場所が橋場と呼ばれ、いつしか地域の呼び名になったとか。そういえば、上野寛永寺前の忍川に架かる三橋は、一
区画整理以前は桃園橋の次の橋は三味線橋でした。青梅街道から新井薬師へと至る古道に架けられた橋で、→ 「中野村絵図」や→ 「東京近傍図」でも桃園橋の次に描かれています。中野区の→ 解説プレートには「いつも近くで弾く三味線の音が聞こえてきたから」と、名前の由来が書かれていますが、江戸時代からの名前というわけではありません。大正5年(1916年)発行の「豊多摩郡誌」の橋梁リストに、三味線橋の名前はなく、おそらく、「石神井橋 水流及び所在地 善福寺分流、谷戸道(谷戸、千光前、上町)構造木造 延長3間 幅員1.5間」とあるのがそれです。 ・ 三味線橋 昭和8年(1933年)の「中野町誌」では、「橋長5m 幅員9.5m 橋種混凝土」となっていて、特に幅員が1.5間(≒2.7m)からだいぶ広くなっています。道の拡幅があったのでしょう。 ・ 青梅街道方面 右岸段丘を上ると、500mほどで青梅街道に出ま
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