神田川と善福寺川の合流地点が現在のようになったのは、昭和初期から段階的に行われた区画整理事業によってでした。昭和2年(1927年)に発足した中野町第二土地区画整理組合によって、淀橋から杉並区との境までの改修が先行、それを引き継ぐ形で、和田堀町第一土地区画整理組合が区境から善福寺川の駒ヶ坂橋までを改修しました。現在の和田1丁目に相当するエリアです。同組合は昭和5年の発足で、事業は同17年までかかりますが、その成果の大半は「昭和12年第四回修正」に反映されています。 ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(昭和12年第四回修正) / 中野 」 → 「明治42年測図」と同一縮尺、同一個所なので、土地区画整理事業の進展を時系列で追うことができます。 次いで、昭和16年に相次いで発足した中野土地区画整理組合、和田堀町第二土地区画整理組合によって、合流地点以降の神田川と駒ヶ坂橋以降の善福寺川の改修
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く