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ブックマーク / chnpk.hatenablog.com (8)

  • 本当に大事なことは教えてくれない - よそ行きの妄想

    中学生時代、私は比較的勉強が得意なほうで、そこそこ成績は良かった。ところが、一度だけ国語の論説文読解の問題で文意をまったく理解ができないことがあった。あまりそういう経験をしたことがなかったので、よく覚えている。河合塾の模試だった。 その論説文は、「壁を設けること」という観点から日文化を論じる内容で、対人関係や住居におけるさまざまな「壁」に関していくつか具体的な事例が展開された後、結論へと続く運びであった。ところが、その結論が当時の私にはまったく理解のできないものだった。その結論とは、「壁」を作らないことは失礼なのだという趣旨のものだった。 当時の私の認識はまったく逆で、「壁」をつくらず、開けっぴろげで、気さくな様こそが良いものとばかり思っていたから、自分の認識とはまったく逆の結論をうまく理解することができず、試験の結果としては実に芳しくないものとなったのだった。 そんなことを最近急に思

    本当に大事なことは教えてくれない - よそ行きの妄想
    fuktommy
    fuktommy 2009/12/27
    "赤の他人に自分のプライベートな空間を覗き込まれては誰だっていい気分はしないだろうから"←そういう人は "家の中が見事に丸見え" にはしない。
  • 絵を描けない人、文章を書けない人、なに言ってるかわからない人 - よそ行きの妄想

    何の脈絡もないが、ふと、絵を描けない人や、文章を書けない人、なに言ってるかわからない人には、共通点があるように思った。 それは端的に言えば、ものごとを正確に理解しようという意識が弱いということ。対象を正確に把握しないままに、それを絵に描いたり、文章にしたり、喋ったりするから、相手に上手に伝わらないのだ。 ある対象についてのことを伝えるには、まずはその対象を自らがきちんと理解する必要がある。脳内に描くイメージ以上に正確なものをアウトプットできるはずがないのだ。例えば、誰か他人の似顔絵を描くというのはなかなか難しい作業だが、その理由は要はその人の顔を覚えていないからだ。かわいいとかキレイとかそういう感想の類いでもなければ、その人と他の人とを区別するためのテクニカルなポイントでもなく、その人の正確な顔である。輪郭や髪型、肌の色つや、目や鼻の位置やそれぞれのつくりなど、つまりは普段我々が目で見てい

    絵を描けない人、文章を書けない人、なに言ってるかわからない人 - よそ行きの妄想
    fuktommy
    fuktommy 2009/09/23
    もともと人間の脳は絵を描くようにはできてないんじゃないかなあ。目で見たものを抽象化する機能が入っていて、意識的にオフにするか、別経路の入力に切り替える必要がある。
  • twitterのremoveについての話題 - よそ行きの妄想

    「日人はTwitterでRemoveできるのか。―コミュニティとしてのfollowのススメ - てきとーに、てきとーに。」というのを読んで、 以下の内容について、違和感がある。 うろ覚えで恐縮だが、日でも熱い会議をすることで有名な某社のサラリーマンらがアメリカに研修に行ったら、アメリカではとっくみあいに近いような会議しているのを見て驚いた、という話をきいたことがある。 さらには、そんなだったらさぞ社員同士の仲が悪いだろうと思ったら、会議が終わったあとは笑顔でコーヒーを飲んでいる風景を見て、二度驚いたという。 意見と人格が切り離されているからできることで、日人はなかなかそうもいかない。どうしても感情的なしこりが残ってしまう。 それが「ゆるさ」がウリのTwitterでも出てしまうのは、なかなか業が深い。 あなたの「Twitterのエントリ」が面白くないだけで、「あなた」自身を否定してるわ

    twitterのremoveについての話題 - よそ行きの妄想
    fuktommy
    fuktommy 2009/09/17
    フォローするかどうかと友人・知り合いであるかって関係ないと思うけどなあ。僕は会社の人とかフォローしてるけど、リムーブしても、同じ会社の人という関係がなくなるわけじゃないし。
  • 小市民は選挙が好き - よそ行きの妄想

    はてなブックマーク - 選挙には行かない - TAKUYAONLINEにて、 選挙に行って投票するのは国民の義務だとか言って吹き上がってる人が多くて笑った。 それはご近所の学会の人が公明党に投票して下さいと言ってくるのとまったく変わらない。投票を国民の義務だと吹聴してまわる行為が、それこそ公明党のような組織票を持った政党における組織票の力を希薄化させたいという意図ならば、それはそのものずばり政治活動的だし、そうじゃなくて民主主義の適切な運営にピュアめな"べき論"を持っている場合でも、それはつまり民主主義を推進する政治活動なのであって、特定の政党を祭り上げることとは若干話のレイヤーが違うが質的にはまったく同じである。 で、はっきり言って、中途半端に正義づらされて「投票は義務(キリッ)」とか言われるくらいなら、学会の人に素直に「お願いします」と言われたほうがよほどその気になる。「投票は義務」

    小市民は選挙が好き - よそ行きの妄想
    fuktommy
    fuktommy 2009/08/30
    選挙って最大の効果が出せたとしても、政治家がポカやったらもう当選させない、みたいなことくらいしかできないと思うんだよね。信任投票に近いイメージ。
  • 視力が0.5くらいから1.2くらいになった話 - よそ行きの妄想

    当ブログ初のライフハック(笑)*1系。というか、これ私も効いたかもというただの経験談だけど。 たとえば遠くにある建物の表面がタイル状だったりすると、このとき端から端までタイルがいくつあるのか数えたりします。また、遠くに木立があると、ほとんど見えるはずもない木の葉の一枚一枚が見えるようになるまで目を見開いて見つめます。夜なら一目でわかる一等星など無視して、暗い等級の星を探します。 このとき眉間に力をいれず、目をしかめず、カッと見開いているのがコツのように思いました。そのうち目の奥の方が痛くなりますし、涙も出てきますので、当に木の葉が見えたかどうかにかかわらず、このあたりで止めます。 大学院時代から今に至るまで、一日にいったい何時間モニターを見ているのかわかりませんが、このトレーニングを休み時間や、道を歩いているときに意識的に行うようにしていたおかげで、裸眼のままなんとか視力を維持できている

    視力が0.5くらいから1.2くらいになった話 - よそ行きの妄想
  • 少年野球に見る信仰と戒律 - よそ行きの妄想

    この間の土曜日の話。公園で野球の練習に精を出す少年たちを眺めていて思ったことを。 結構格的な練習みたいで、コーチみたいな人が時折怒鳴ったりしながら、守備練習などをしていた。最初は、子供なのに上手いもんだなあとか思って眺めていたわけだが、やけに厳しいコーチに対して段々腹が立ってきた。 少し自分語りさせていただくが、私は中学時代サッカー部だった。はっきり言ってプロになりたいとか高校サッカーでどうこうとか、そういうのはまったくこれっぽっちも考えていなかったが、ただなんとなく、Jリーグも始まったし*1、ボール蹴って楽しければいいかなと思って入部した。にもかかわらず、我が校のサッカー部はなぜか近所のサッカー好きの大学生かなんかをコーチとして招聘し、しかもそのコーチはこともあろうか我々をしごきだした。やれ筋トレだ、ダッシュだ、マラソンだと、それこそボールを蹴ってる暇もないほどに。想定とまったく違った

    少年野球に見る信仰と戒律 - よそ行きの妄想
    fuktommy
    fuktommy 2009/03/12
    サッカー部はサッカーをする部活動であって、そこに"勝つためにいろいろ犠牲にする"とか"遊びなので楽しくやる"とかいう付加要素が入ってくるのはおかしい。←これうまく言語化できない。http://blog.fuktommy.com/1227338895
  • 少子化対策なんか無理というところがスタート地点では(追記あり - よそ行きの妄想

    少子化問題に取り組む「ゼロから考える少子化対策プロジェクトチーム(PT)」(主宰・小渕優子少子化対策担当相)の第2回会合が24日、内閣府で開かれたらしい。 以下は、国内・海外の若者のライフスタイルに詳しい宮みち子放送大学教授からの同会合における提言だそうだ。 (1)若年ワーキングプアの防止=いかなる雇用状態になっても最低限の生活は守られる所得水準や制度の構築(2)職業訓練を受ける権利の確立=失業者中心ではなく、就学と就職の間を取り持つような普遍的な施策(3)共働きが可能な環境条件の整備=だれもがたやすく妊娠・出産・育児を乗り切れるような施策や社会的認知(4)若者総合政策=ピンポイント支援ではなく、ライフステージの中で長く広く安定したサポート−−が必要だとした。 社会 - 毎日jp(毎日新聞) これらは一見もっともであるが、どうも違和感を感じるのは、諸々の不安さえ取り除けば人は子作り・育児

    少子化対策なんか無理というところがスタート地点では(追記あり - よそ行きの妄想
  • 努力の成果に向けられる不快感 - よそ行きの妄想

    なんか勉強系の話題が流行っているようだ。 何かにつけて、後出しの自分定義によって我田引水をはかるみっともないアルファブロガー(笑)の話はおいておいて、以下に引用するエントリーは少し興味深い。 たとえば体育や音楽でずば抜けた能力をもつ場合、その子は胸を張っていられる。 でも、「お勉強」の教科に秀でている場合、その子はそれを無邪気に誇りに思うことはできないばかりか、後ろめたいことのようにすら思うことを強制させられる。 この非対称性は、なんなのだろう? どうにも不思議だ。 なぜ、かけっこが速くてもいじめられないのに、勉強ができるといじめられるのだろう? ぽりあんてな 確かに、小学校や中学校において、「お勉強」の成績がいいことについての評価が、走る速さなどの身体的な能力に対するそれと比べて、相対的に低いということについて、私にも思い当たる節はある。私は意外といじめられたことはまったくないのだが、成

    努力の成果に向けられる不快感 - よそ行きの妄想
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