なぜ、江戸幕府が引いたのに、西郷隆盛たちは攻め続けたのか? 幕末維新におけるクライマックスが【大政奉還】であり、その後に続く【戊辰戦争】でしょう。 慶応3年(1867年)10月14日に慶喜が明治天皇へ奏上して、翌日に勅許がくだされ、幕府から朝廷への政権譲渡が完了。 となると、もはや江戸幕府も同じ立場であり、薩長と揉める必要はない――にもかかわらず両者の争いは激化し、ついには戊辰戦争へ。 岩倉具視や薩摩藩の首脳部では内戦を回避する意向だったのに、現場の西郷隆盛らが戦いを強行したともされ、何やらややこしいことになっています。 一体なぜ? 本稿で、大政奉還~戊辰戦争の流れを振り返ってみたいと思います。 将軍家から朝廷へ政権お返しズバリ、大政奉還とは? 言葉の意味としては、十五代将軍・徳川慶喜が「朝廷へ政権をお返しします」という書面を提出し、翌日、明治天皇からの許可が降りたことを指します。 実質的