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ブックマーク / bushoojapan.com (5)

  • 慶喜と西郷の思惑激突~大政奉還が実施されても戦争が始まった理由

    なぜ、江戸幕府が引いたのに、西郷隆盛たちは攻め続けたのか? 幕末維新におけるクライマックスが【大政奉還】であり、その後に続く【戊辰戦争】でしょう。 慶応3年(1867年)10月14日に慶喜が明治天皇へ奏上して、翌日に勅許がくだされ、幕府から朝廷への政権譲渡が完了。 となると、もはや江戸幕府も同じ立場であり、薩長と揉める必要はない――にもかかわらず両者の争いは激化し、ついには戊辰戦争へ。 岩倉具視や薩摩藩の首脳部では内戦を回避する意向だったのに、現場の西郷隆盛らが戦いを強行したともされ、何やらややこしいことになっています。 一体なぜ? 稿で、大政奉還~戊辰戦争の流れを振り返ってみたいと思います。 将軍家から朝廷へ政権お返しズバリ、大政奉還とは? 言葉の意味としては、十五代将軍・徳川慶喜が「朝廷へ政権をお返しします」という書面を提出し、翌日、明治天皇からの許可が降りたことを指します。 実質的

    慶喜と西郷の思惑激突~大政奉還が実施されても戦争が始まった理由
  • 明治天皇の功績&エピソードまとめ~現代皇室の礎を築いたお人柄とは?

    禁門の変(元治元年/1864年)で御所が銃撃に巻き込まれたり、よくわからん人が入り込んだりしたときは失神したといいます。 お姫様にはよくある話ですが、男性でこの手の話は割と珍しいかもしれません。 といっても、時代はいつまでもそれを許しません。 慶応二年(1866年)の末に父・孝明天皇が急死したため、年明け1867年には数え16歳で即位することになります。 満年齢では14歳、現代では中学生にあたる少年が、激動の幕末における新政府の中心に据えられたわけです。常人であればプレッシャーで胃に穴が開きそうですね。 明治天皇も御内儀(天皇のプライベート空間)で誰かに愚痴をこぼしたことくらいはあるかもしれませんが、表向きそういう記録は残っておりません。 立場と政務になれる暇もなく、時代はどんどん進んでいくのでした。 即位の翌年には、江戸幕府十五代将軍・徳川慶喜から「権力を朝廷にお返しします」という表明が

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  • NHK大河ドラマ前にマンガで分かる軍師・黒田官兵衛7つの選択 | BUSHOO!JAPAN

    『風林火山』で山勘助が主役に抜擢され、『天地人』では直江兼続が――。 最近の大河ドラマは戦国時代の【軍師役】にスポットライトが当たることが多く、「次はどこぞの軍師ぞ?」と薄々予感されていた方もいるかもしれない。 そう、1月5日スタートの2014年の大河ドラマは言わずもがな黒田官兵衛が主役。 正式タイトルは『軍師官兵衛』です。 誤解を恐れずに言わせていただくと、黒田官兵衛は、織田信長や武田信玄、伊達政宗などのスター武将と比べると、いまいち世間の知名度は低いです。「兵衛」ってところが、竹中半兵衛とこんがらがりそうです。 そこで、まず押さえておきたいのは、彼が【出世への道のり】ではないか?と武将ジャパン編集部では考え、12月31日発売の『戦国時代100の大ウソ 武将烈風記』にもそのマンガと記事を掲載させていただきました。題して・・・。 『特集 軍師・官兵衛を追え! 黒田家の命運を決めた 官兵衛

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  • 丹下典膳や長月隼人がいかに優れた剣の使い手であろうと加賀藩に仕官できないたった一つの理由 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

    江戸時代になると、武士のみなさんもすっかり暇になってしまいました。 戦争禁止令が出た武士にとっての存在価値ってなんでしょうか?そんなのありません。 で、仕方がないので、やることは 「ジョブチェンジ!」 「クラスチェンジ!」 そうです。高級なセレブ公家みたいになろうとするのです。暇なので。 加賀藩5代の前田綱紀さんは、まさに暇人中の暇人。暇すぎて、金沢の城下町に文化をたくさん興して、いまや中興の祖です。 小さいときはおじいちゃんで3代利常が後見役で、この人は最後の戦国武将、別名「最後の鼻毛武将」と呼ばれたカブキモノです。(鼻毛を伸ばすのは、戦のときに鼻毛をそろえているやつがあるか!という武士としての意地だった) 戦国の教えをばっちり帝王教育されて才能あふれた殿様だったけど、もはやその武力を使う世の中ではない。 で、あふれる情熱を宝生流の能を京都から金沢に招いたり、百科事典を作ってみたりと、方

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