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人物に関するfukushima-nobuyukiのブックマーク (5)

  • 読売新聞に掲載された、弟らしい記事 - 福島のぶゆきアーカイブ

    〇弟自慢でスミマセン。今日の読売新聞に掲載された、弟らしい記事。イスラエルの左派作家のデイビッド・グロスマン氏のインタビュー、「戦争以外の方法試そう」。 日の新聞の国際部の記事は、そこで起きている事実や政治家の発言を報道するものが大部分であるが、このようにイスラエルとパレスチナの問題を文学者の観点から見た記事に大きな紙面を割いてくれた読売新聞に敬意を表したい。 【ハマスのような狂信的な組織を排除することは困難です。だから、別の方法を試そうではありませんか。数年にわたる停戦も考えられるでしょう。『剣を取るものは剣で滅びる』(マタイの福音書)ということが今や明らかです。我々は、パレスチナ人の要求を無視してきた代償を払わなくてはならないのです】 【イスラエルには強い軍隊があり、社会は戦争の時には団結しているから生き残るでしょう。しかし、問題は、悲劇を繰り返しながら生き残りたいか、あるいは充実し

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  • 家庭菜園の手入れと、数年ぶりの自宅の大掃除 - 福島のぶゆきアーカイブ

    〇今日は家庭菜園の手入れと、数年ぶりの自宅の大掃除。暖冬で、ダイコンや中国野菜がまだ青々と育っています。母の遺品も含めて、断捨離しようと思いながら、つい忘れかけていたものに見入ってしまって、なかなか掃除が進みません。 小泉政権の中枢ではたらいていた時、まやかしの「構造改革」に怒って役所に辞表を叩き付けました。政治の世界に出る時の私の親分からの辞令を見つけました。いただいた退職金は171万8400円。これからどうやって生活していくか、辞めた後現実に目覚めて1ヶ月間眠れなかったことを思い出します。 浪人中の2007年、第1次安倍政権崩壊後の自民党総裁選に当たっての朝日新聞のインタビュー記事を、母が残していました。 【まず政治家が変わりましょう。安倍内閣が重要な「構造改革」の課題を示してくれました。政治とカネの問題です。福田さんや麻生さんの政治団体の政治資金収支報告書を見ても、どこからどれだけお

    家庭菜園の手入れと、数年ぶりの自宅の大掃除 - 福島のぶゆきアーカイブ
  • ヨットマンの政治家として - 福島のぶゆきアーカイブ

    〇歳の瀬に、今年9月4日に亡くなった故戸田邦司先生のご著書を会葬礼状と共に送っていただきました。 戸田先生は、同じ常磐線沿線のいわき市四倉町生まれ。横浜国大ヨット部出身で、船好きが高じて運輸省に入省し、国際海事機関(IMO)で海事マフィアとして名をとどろかせ、海上技術安全局長を務めました。その後、当時の二階運輸大臣のスカウトで参議院議員となり、小沢一郎先生のブレーンともなったのです。2009年に念願の政権交代を果たした時の、張り切った姿を思い出します。 私の政治の父である故鴻池祥肇先生の盟友であり、商社マンだった義父や造船会社に勤めていた叔父もお世話になっていたことから、私が政治の世界に入ってからことのほか気にかけていただきました。2021年の衆議院選挙で国会に戻ったときは「もう外に出られないけど」と言いながら、とても嬉しそうにお祝いの電話をくださいました。常磐線沿線で生まれ育ち、大学でヨ

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  • プチ同窓会 - 福島のぶゆきアーカイブ

    〇昨晩はもう一つの母校鎌倉高校の同級生と、同級生の旦那がやっている北千住のもつ焼き屋でプチ同窓会。たった1年ちょっとしかいなかった高校だけど、30年以上ずっと仲良くしてくれているかけがえのない仲間。この中の古田君は、一昨年の選挙の時、私の街宣車を追いかけて雨の中わざわざ城里町の山奥にまで来てくれました。 転校生だったのに自由奔放にしていた私のさまざまなエピソードが。 「授業中全く授業を受けず、ずっと分厚い哲学書を呼んでいた」。~教科書を持っていなかったので仕方ありません。 「お勧めのを聞いたら『家畜人ヤプー』」。 「『全然勉強していない』って言うのを嘘だと思っていたけど、家に遊びに行ったら何も勉強道具がなくて、当に勉強していないのを知ってショックを受けた」 「授業をサボってみんなで日シリーズを見に後楽園球場に行って、先生に怒られた」 「京都に修学旅行に行ったのに、仲良しグループで行っ

    プチ同窓会 - 福島のぶゆきアーカイブ
  • 炭田精造氏を偲ぶ会 - 福島のぶゆきアーカイブ

    〇週末に「炭田精造氏を偲ぶ会」に、地元日程の合間を縫って参加してきた。元㈶バイオインダストリー協会常務理事。ちょうど21世紀になったばかりの頃、私が経済産業省生物化学産業課(バイオ課)国際班長をやっている時に、大変お世話になった。 炭田さんは、カリフォルニア大学で生化学博士を取得した国際派。風貌も、彫りの深い日人離れしたロマンスグレーで、お会いするまでは英語のメールでやりとりをしていたので、Mr.Sumidaという名前のアジア系の外国人だと思っていた。 1992年のリオデジャネイロ環境サミットで採択された気候変動枠組み条約と生物多様性条約(CBD)は「双子の条約」と言われていたが、日では後者はあまり話題にならなかった。当時、CBDでは遺伝資源から医薬品や工業製品などを開発した場合の途上国への利益配分が大きな国際問題となっていた。微生物や菌などの有用な遺伝資源はアマゾンや東南アジアの熱帯

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