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災害に関するfukushima-nobuyukiのブックマーク (10)

  • 空襲議連の活動 - 福島のぶゆきアーカイブ

    〇空襲議連の活動を報道してくれています。私も映っています。 news.tv-asahi.co.jp もう来年は戦後80年。この議員立法の法案に賛成でまとまっていないのは自民党だけですが、空襲被害者がご存命のうちに何とか法律を成立させたいと平沢勝栄先生、松島みどり先生が、当に粉骨砕身頑張ってくださっています。選挙区事情では関係のない鈴木宗男先生も、ご熱心です。こうした問題への対応で、政治家の真価がよく見えます。 私も、微力ながらお支えしてまいります。

    空襲議連の活動 - 福島のぶゆきアーカイブ
  • 国土交通委員会・厚生労働委員会ダブルヘッダー+政治改革特別委員会の理事懇談会 - 福島のぶゆきアーカイブ

    日は、国土交通委員会と厚生労働委員会でダブルヘッダーでの質疑に加え、政治改革特別委員会の理事懇談会が断続的に開かれ、体が一つでは足りないような忙しい一日となりました。審議の模様については、YouTubeでご覧ください。 国土交通委員会では、先日の能登半島震災の視察を踏まえ、なぜここまで仮設住宅の建設が遅れたり避難所の居住環境の整備が遅いのかを問い質した上で、住宅セーフティネット法案がこうした被災者にも役立つものになるのか、問いました。 www.youtube.com 厚生労働委員会では、先週パラオ共和国から帰国した政府の遺骨収集団が、これまで米軍の資料で存在が明らかだった集団埋葬地を発見したことを踏まえ、政府の政治主導での手厚い支援を武見厚生労働大臣に求めました。それなりに誠意のある答弁をいただけたと思います。また国土交通委員会と同様に能登半島視察を受けた課題について問い質しましたが、

    国土交通委員会・厚生労働委員会ダブルヘッダー+政治改革特別委員会の理事懇談会 - 福島のぶゆきアーカイブ
  • 政党会派の枠組みを超えて - 福島のぶゆきアーカイブ

    〇先日の能登半島視察の写真を厚生労働委員部からいただきました。石川県との意見交換では、役所の先輩であり親しい先輩のご夫人でもある西垣淳子副知事と久しぶりの対面。珠洲市の避難所では、膝詰めで避難されている方の声もお聞きしました。 こうした視察の機会は、普段は委員会で論戦を交わす他党の議員の皆さんと直接意見交換をする機会でもあります。これまでの委員会での議論を振り返りながら「実は同じこと考えていたんだよ」とか、「なるほどと思ったよ」などと与野党の立場を超えて、お互いの考えを認め合ったりもします。 能登半島の状況を見ても、政党会派の枠組みを超えて「こうした方がいい」、「与野党一致して委員会で決議し政府を動かそう」とか、いろいろなアイデアが出てきます。 私は、立場を超えた人間同士の繋がりから何かが生まれる、こうした政治の世界が大好きなのです。

    政党会派の枠組みを超えて - 福島のぶゆきアーカイブ
  • 能登半島地震 被災地を視察 - 福島のぶゆきアーカイブ

    〇今日は厚生労働委員会で能登半島地震の被災地への視察。昨日の最終の北陸新幹線で24時前に金沢に着き、今朝6:30に金沢駅前のホテルを出発して輪島まで2時間半。珠洲の避難所等も視察して、4時間かけて金沢まで戻り、先ほど22時半に宿舎に戻ってきました。この間、昼と夕は車中での弁当と、タフな視察です。 市立輪島病院を視察 ビルが根こそぎ倒れたまま 珠洲の避難所。この状態で5ヶ月間。 金沢市内の1.5次避難所。ほとんどのテントは空いています。 それよりも、地震から5ヶ月が経っても、被災時のままガレキが残り、珠洲の避難所は未だに個室になっていない段ボールベッドで、仮設住宅の建設は遅々として進まず、医療や福祉の従事者が全く足りていないという現状に絶句しました。民間に委託して運営している金沢の1.5次避難所は、テントで個室になっていますが、もう2月にピークを越して空いているというのに、珠洲は未だに昼

    能登半島地震 被災地を視察 - 福島のぶゆきアーカイブ
  • 五月祭「JCO事故と『3・11』から見た原子力災害への備え」パネルディスカッション - 福島のぶゆきアーカイブ

    〇東京大学の五月祭で、学生団体GEILが主催する「JCO事故と『3・11』から見た原子力災害への備え」と題するパネルディスカッションに登壇してまいりました。 対談の相手は、JCO事故後の対応で一緒にはたらいた、日原子力研究開発機構の緊急時対応のエキスパート渡辺隆文さん(水戸市在住)。いわば、戦友。JCO事故前の原子力災害を想定していない時代から、JCO事故後の原子力災害対策特別措置法の制定、菅直人内閣での福島第一原発事故への対応の教訓から、今年正月の能登半島地震で浮かび上がった課題まで、渡辺さんの技術的知見と私の行政・政治の観点からの体験談を織り交ぜ、体系だった良い議論ができたと思います。 この硬派な企画の外では、銀杏並木の下で各種サークルや駒場のクラスでの屋台などのキャピキャピした学園祭の賑わいが。私が5年間の在学中五月祭に出たのは、1回だけ。ヨット部の私にとって、ハイシーズンだったの

    五月祭「JCO事故と『3・11』から見た原子力災害への備え」パネルディスカッション - 福島のぶゆきアーカイブ
  • 台湾の地震で被災された皆さんにお見舞いを申し上げます - 福島のぶゆきアーカイブ

    台湾の地震で被災された皆さんにお見舞いを申し上げます。まだ被害の全容は明らかとなっていませんが、一人でも多くの方が救助されることを祈っております。 被害が大きかった花蓮の地は、これまで何度も訪れた大好きな場所。日統治時代には多くの日人が住み、郊外には日人の住んでいた集落がそのままの面影を残しています。私が生涯でたった一度、父母、兄弟とその家族で旅行したのも、この地でした。今は閉店してしまった、蒋介石総統も愛したという戴記扁のワンタンをべるためだけに、花蓮に行ったこともあります。 日の災害の時には、いつも真っ先に一番大きな支援の手を差し伸べてくれる台湾。今度は私たちが手を差し伸べる番です。

    台湾の地震で被災された皆さんにお見舞いを申し上げます - 福島のぶゆきアーカイブ
  • 無名の英雄たちに思いをはせたい - 福島のぶゆきアーカイブ

    〇今日は地元の千波中学校の卒業式からスタート。息子が小さいときから一緒に遊んでくれたお向かいさんの子どもも卒業です。鈴木校長のお話は、子どもたちへの愛情あふれる、教師という仕事を心から天職と思う気持ちが溢れ出た感動的なものでした。 いつも卒業式に出ると、「先生っていい仕事だなあ」と思うのですが、現場の大変さも鈴木校長は常々語ってくれます。最近は先生になろうとする人も、だいぶ減ってしまっています。難しい仕事が多くなって忙しすぎる割に、社会からの評価が必ずしも高くないのが現実です。社会や地域が、もっと先生を大事にしなければなりません。 今日は東日大震災があった日。あの年の卒業式は、体育館が使えず教室で校内放送で行ったことを思い出しました。昨日、NHKスペシャルで「語れなかったあの日 自治体職員たちの3.11」を見ました。目の前に助けを求める人がいたにもかかわらず津波警報のため現場を去らざるを

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  • 自然災害と原子力災害の複合災害への備え(予算委員会第6分科会) - 福島のぶゆきアーカイブ

    〇予算委員会第6分科会で、伊藤信一郎原子力防災担当大臣と山中伸介原子力規制委員長に対して、 ①大規模災害時の原子力広報のあり方 ②今般の能登半島地震での志賀原発を巡る初動体制の検証 ③地震等の自然災害と原子力災害の複合災害への備えのあり方 について議論を行ってまいりました。 1月24日の予算委員会で、私は岸田首相に対して今般の震災における原子力規制委員会の広報体制の不十分さを指摘し、首相は改善を約束してくれました。その結果、原子力規制委員会のHPは変わりましたが、やはり相変わらずお役所文書にリンクを張っただけで国民が欲しい情報には辿り着けません。さらなる改善を求めました。 1月1日16:10に地震が発生して、元日だったにも関わらず、原子力規制庁には4名の職員が宿直しており、現地の志賀原子力規制事務所にもただちに2名が参集しました。原子力規制委員長も数時間後には危機管理室に到着しました。危機

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  • 予算委員会閉会中審査で、能登半島地震に関する質疑を行いました - 福島のぶゆきアーカイブ

    〇予算委員会閉会中審査で、能登半島地震に関する質疑を行いました。質疑の模様は、YouTubeからご覧いただけます。 www.youtube.com 冒頭まず、水戸葵ライオンズクラブの仲間がいち早く被災地に炊き出しの支援に入ったことを紹介し、そこで受けてきた声を岸田総理に伝えました。岸田総理は「プッシュ型の支援を行っている」と何度も言いますが、実際には3週間もカップラーメンとアルファ米しかべられない被災者がいます。もっと国が前面に出たきめの細かい支援の必要性を訴えました。 題は、原子力発電所で起きていることの広報。原子力規制委員会のホームページからは、なかなか欲しい情報が得られません。一方、ネット上ではさまざまな情報が飛び交っています。私や斉藤国土交通大臣が、東海村JCO事故の後に作った原子力災害対策特別措置法やそれに基づく原子力防災体制が生かされていません。「しっかりしてくれ」と訴えま

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  • 日立市で豪雨水害のボランティア - 福島のぶゆきアーカイブ

    〇生まれてから16年間住んだ故郷日立市に、水戸葵ライオンズクラブの仲間たちと豪雨水害のボランティア。一声かけるとパッと集まって、どこでも災害ボランティアに行けるのが水戸葵ライオンズクラブのすごいところ。 担当したのは、災害拠点になるべきにもかかわらず大きな被害を受けた、日立市役所のちょっと下流の地点にあるお宅。川の水面から5、6mはある高台にあるのに、床上まで浸水したのは信じられない。でも数沢川と平沢川が合流した川はコンクリートで河床も河岸も固められ、周りの道路もコンクリートの塊。すぐ下流では宮田川とも合流する地形から、水の逃げ場がない構造だったのだろう。すぐそばの低地には日立市消防署部もあって、大丈夫なんだろうかと思った。 私が子どもの頃は、日立市は冬は山が北風を遮って暖かく、夏は海風で涼しく、災害も少ない街とされていた。もしかしたら、「大きな災害は起きない」という思い込みがあるのかも

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