間もなく戦後65年を迎えようとしていますが、戦前から戦中にかけて「軍神」とたたえられた軍人たちがいました。 日中戦争で亡くなった徳島市のある大尉もそんな一人です。 生前は全く無名だった彼は、なぜ「軍神」と言われるようになったのでしょう。 昭和12年に始まった日中戦争。 中国・揚州へ空爆に向かい、撃墜されて戦死したひとりの軍人がいました。 梅林孝次、29歳。 その死の直前にとった行動が美談として全国に広がり、彼は「軍神」と呼ばれるようになりました。 先月、徳島県立文書館では、「軍神」・梅林の資料を展示する準備が進められていました。 2,000点を超える膨大な資料は、遺族が3年前にこの文書館に託したものです。 「ひとりの若者が『軍神』にまつりあげられていくその過程を完璧に追うことができる資料群。戦争へと突き進んでいった当時の日本社会の一断面を紹介できればと」 梅林孝次は、明治41年生まれ。 兵
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く