【ソウル17日聯合ニュース】韓日強制併合当時、日帝は大韓帝国を「併呑」しながらも、侵略的な意図を隠ぺいするため「併合」という言葉を意図的に作り出していた。また、初代韓国統監・伊藤博文を射殺した独立運動家・安重根(アン・ジュングン)を死刑にするため、中国で裁判を実施。さらに旧日本軍と統監府は外務省とともに、この事件を「韓国皇帝の使嗾(しそう)」に仕立て、早期併合強行の名分にしようと暗躍していた。 こうした事実は、聯合ニュースが先ごろ国際韓国研究院の崔書勉(チェ・ソミョン)院長から入手した、倉知鉄吉(韓日併合当時、外務省政務局長)の回顧録「韓国併合ノ経緯」から明らかになった。回顧録は、日本の「外務省調査部第4課」が1939年に秘文書として発刊したもので、2000年6月に日本で出版された「近代外交回顧録」第2巻に収録されている。 回顧録には、韓国を日本に合併するという議論は世の中で広く唱えら