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ブックマーク / sakura.canvas.ne.jp (2)

  • Web評論誌「コーラ」10号 <倫理の現在形>第9回

    ──不登校、ひきこもり、フリーター、ホームレス、メンヘル、非モテ、自傷行為、イジメ、自殺──雨宮処凛の出世作『生きさせろ!難民化する若者たち』では、フリーターという現象を軸に、様々な人へのインタビューを行い、これらの事象をぶっ通しで考えろと促した。これが2007年。労働問題をベア闘争でも待遇の問題でもない、生存問題として捉えたところが、もっとも画期的だった。それも、「かわいそうな人」とすらみなされない立場──「自己責任」を負うべきとみなされた立場、やや古めの言葉で言えば「自業自得」とみなされた立場―から考えたことが特筆すべきことだった。 この点を、どうか、この(拙い)文章を読んでくださる方々には心に留めてほしいと思う。フリーターが「非正規雇用」という言葉に置き換わり、この事態に対し社会的な責任を担わせ、不十分でありながらも法律をも変えようとしている、2010年の、この時期において。 という

  • Web評論誌「コーラ」6号 <倫理の現在形>第6回

    海外では、数万人から場合によっては数十万人が参加する政治的なデモや大衆行動、そして暴動が結構あります。しかし日では、1000人が集まるデモさえ、そんなに多くはありません。 まず私は、「なぜ日の(左派の)社会運動は、こんなにも弱いのだろうか」という問題意識から、この文章を書いています。言い換えると、なぜ日の社会運動は社会的な信用を獲得できていないのか、ということです。 もちろんそれには様々な理由があるでしょうが、私がここで考えたいのは、「社会運動と権力」の問題です。それは、社会運動内部における多様性や、運動内部の多数派/少数派の関係のあり方の問題であり、社会運動がその外部に対して持っている影響力に対して責任を引き受ける必要性のことです。こういった問題を考えて取り組んでこなかったことが、日の社会運動の社会的信用の低さにつながっていると私は思うからです。

    fuma_1935
    fuma_1935 2010/03/06
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