在野は謙遜語で相手を貶めるために言うべからず 呉座勇一氏が私の『呉座 VS 井沢:歴史学者だけが歴史家なのか?』に反論して、『在野の歴史研究家に望むこと』という記事を書いているが、タイトルからして笑止千万である。 「在野」などというのは、当事者が謙遜していうとか、反抗精神をポジティブにとらえて第三者が言う言葉であって、象牙の塔の住人が自分たちの仲間でない人たちを見下すように使うのは失礼だろう。 学会所属の自分たちは殿堂の中にあって、そうでない人は屋外席だとでもいいたいのかといわれそうな、誤った特権意識の表れだ。 もうひとつ呉座さんが分かってないと思うのは、自分が文献資料の分析だけのプロだということだ。だから、資料の発見とか整理や評価はプロのはずだが、解釈能力があるかどうかは別だ。解釈は森羅万象についての知識、推理能力、人生経験などがものをいうから、文献史家がプロとしての優位性をもっていると