自傷患者は言った「切ったのか、切らされたのかわからない。気づいたら切れていた」。依存症当事者はため息をついた「世間の人とは喋っている言葉が違うのよね」――当事者の切実な思いはなぜう… 自傷患者は言った「切ったのか、切らされたのかわからない。気づいたら切れていた」。依存症当事者はため息をついた「世間の人とは喋っている言葉が違うのよね」 ――当事者の切実な思いはなぜうまく語れないのか? 語る言葉がないのか? それ以前に、私たちの思考を条件付けている「文法」の問題なのか? 若き哲学者による《する》と《される》の外側の世界への旅はこうして始まった。ケア論に新たな地平を切り開く画期的論考。 【本書「あとがき」より】 中動態の存在を知ったのは、たしか大学生の頃であったと思う。本文にも少し書いたけれども、能動態と受動態しか知らなかった私にとって、中動態の存在は衝撃であった。衝撃と同時に、「これは自分が考
![『中動態の世界 意志と責任の考古学』(医学書院) - 著者:國分功一郎 - 斎藤 環による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/2cb99f5c3aea53f07517703423e3f19b1c09f2a3/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fallreviews.jp%2Fapi%2Fimage%2Fcontain%2F1200x630%2Fhttps%3A%2F%2Fimages-fe.ssl-images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F41ZZagW7OUL.jpg)