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ブックマーク / reskill.nikkei.com (3)

  • 「龍角散」復活 左遷された女性開発者が原動力に|出世ナビ|NIKKEI STYLE

    1998年の発売以来、医療・介護の現場から家庭まで幅広く利用されている、龍角散の服薬補助ゼリー。薬を飲みやすくするために開発されたゼリー状のオブラートで、世界35カ国1地域で特許も取得している。福居篤子執行役員が生みの親。一連の開発で多くの賞を受賞する一方、左遷も経験している。逆風にへこたれず、それを力に変えた彼女の実力を見込んで役員へ引き上げたのは、現社長の藤井隆太氏。服薬補助ゼリーシリーズ開発の軌跡を通じ、一時は倒産の危機に瀕した老舗企業を、2人のリーダーはどう蘇らせたのか。証言を基に振り返った(次回「『独裁』は悪いですか 龍角散を再生した音大卒社長」参照)。 ◇  ◇  ◇ 臨床薬剤師としての病院勤務が原点「製薬会社はどうしてこんな飲みにくい薬を作るのだろう?」。龍角散執行役員の福居篤子氏は臨床薬剤師として病院に勤務していた頃、よくそんなことを思っていたという。 薬が嫌だ、飲みたくな

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  • メタルGショック、伝道師の「ウソ」で誕生 | NIKKEIリスキリング

    カシオ計算機のアドバイザリー・エンジニアである伊部菊雄氏は業界ではその名を知られたカリスマだ。会った誰もが、その技術者としての純粋さと人間的魅力に引き寄せられる。「G-SHOCK(ショック)」の開発を手がけた後は、安くて高品質な「スタンダードカシオ」の設計に従事していた。1996年には商品企画部のプロジェクトリーダーとしてメタルGショック「MR-G」を商品化。現在はGショックの伝道師として世界各地を講演して回っている。そんな伊部氏の肩ひじ張らないエンジニア人生を聞いた。 <<(上)Gショック1億個、伝説はたった1行の企画書から 1行企画書が役員会を通った事情、今も謎――Gショックが完成した瞬間、伊部さんは何を思いましたか? 「これでうそつきにならずに済んだ、と。とにかく落としても壊れない時計を作りたいという、その一心で始めた企画でしたから」 「入社したのは1976年です。会社に入っても、高

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  • Gショック1億個、伝説はたった1行の企画書から|出世ナビ|NIKKEI STYLE

    始まりは20代の若手社員が出した、たった1行の提案。「落としても壊れない丈夫な時計」――。その1行が仲間を引き寄せ、会社を動かし、のちの大ヒット腕時計「G-SHOCK(ショック)」を生んだ。1983年4月に発売したGショックは2017年8月末の時点で、世界累計1億個を出荷するロングセラー商品になっている。ここに至るまでは決して順風満帆ではなく、むしろ何度も座礁しかけた。初代Gショックの生みの親、カシオ計算機アドバイザリー・エンジニアの伊部菊雄氏と取締役専務執行役員で時計事業部長の増田裕一氏、2人の証言から振り返る。 (下)メタルGショック、伝道師の「ウソ」で誕生 >> ソフトボール大になった実験サンプル81年のことだ。カシオ計算機で腕時計の外装設計を担当していた伊部氏はその年、来る日も来る日も東京都羽村市の技術センターのトイレにこもり、ある実験を繰り返していた。 役員が審議する月に1度の提

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