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ブックマーク / zuisho.hatenadiary.jp (10)

  • I have a radio. - ←ズイショ→

    ツイッターで、ブログ書きたいから、なんか書くお題くれ、って言ってたら、「ラジオについて書いてくれ」ってのがあった。 なので僕とラジオの話をしよう。 大学浪人してた時、勉強する以外死ぬほど暇だったので出会い系をやってたら、年齢でいうと一つ上の女の子と知り合った。地元の糞田舎が死ぬほど嫌だったのでなんの計画性もなく都会に出てきたものの別にいいことなんか一つもなくて、いつも死にたい女の子だった。うっかり風俗に堕ちてしまった、ものすごくありきたりな出会い系にいがちな女の子だった。 僕はその子の死にたさにめっきり当てられて、こんなに他愛もない子が死にたがってるのは良くないと思って彼女に死んでほしくないなと思った。僕にできることは何もないけれど、彼女の生きる活力になればと思って、彼女から送られてくる死にたいメールにあっけらかんと面白おかしく返事をしようと僕はいつも躍起だった。僕は死にたいと思ったことな

    I have a radio. - ←ズイショ→
  • 犯罪を行う意思の有無は判断できないので、犯罪を遂行する能力の有無で判断する - ←ズイショ→

    このエントリを読んで、「わかる」って人がいたり「変なの」って思う人がいたり、まぁそれはこのエントリがなかなか舌ったらずなのでまぁそうなるだろうねとは思うんですけど、ここらへんの話については思うところは日頃あったのでその話をしまーす。そこそこ乱暴な話をしまーす。ただし心です。 僕はこのエントリについては「まぁわかる」と思うほうで、どちらかといえばこのエントリに批判的な声の方にイラッとする立ち位置なんですけど。 「ちょっと一緒に遊んでただけで犯罪者の疑いがかけられるんですか」みたいな嘆きに近いような言い方はそりゃああると思う、これは子供相手の話に限らず良い大人の男性女性の間にも起こりうるような話題です。で、僕はそうじゃねえと思ってて、実際に安易に人を犯罪者予備軍と看做すヒステリックで頭が悪い臆病者という人たちもいらっしゃるのでそこは難しいところなんですけれども、申し訳ないけれども質としては

    犯罪を行う意思の有無は判断できないので、犯罪を遂行する能力の有無で判断する - ←ズイショ→
  • 世間話するのと熱湯ぶっかけるのは大体同じ - ←ズイショ→

    はい、上記読んだんで「まぁだいたい同意です」みたいな内容の話をします。 僕はもともと内容のないお喋りがすごく好きな人間なので、たとえば最近やってたので言えば電車の中で同僚と玉音放送って長渕剛みたいな言い方で読んだらめちゃめちゃ面白いのではって話になって二人でスマホを開いてググって玉音放送をただ長渕剛風に朗読するっていうのをやってたんですけどまぁ最終的に「米英」をいかに長渕に寄せて2拍で「ベイっ」「エイっ」って言うかを競う感じになったんですけど、カマキリとかのでかい虫をうでかい蛙とか、一口目でパクついて捕らえてからの更にグッと飲み込む二口目までだいぶ間隔空くイメージがあるんですけど、それくらいの間隔を置いての「ベイっ」「エイっ」っていうあの感じ、あの感じをうまく出来た方が勝ちみたいなことをやってるくらいなんで、完全に内容のないおしゃべり大好きチームなんですよ僕は。そんなやつの意見は聞きたく

    世間話するのと熱湯ぶっかけるのは大体同じ - ←ズイショ→
  • 嫌われない人になる方法 - ←ズイショ→

    僕は基的には「掴みどころがなくて癖は強いがなんだか侮り難く、敵に回すととてもめんどくさそうなのでとりあえず味方に置いておきたいな」と相手に思わせるキャラクターでいたいなという方針で俺の肉体を社会的に運用しているのですが、こういう繊細なニュアンスのキャラクターをやるのは手間と時間がかかるので、最近生活環境が大きく変わったこともあって、とりあえず今は好青年キャラをやっています。具体的には以下を念頭に置いて「人」をやっています。 ・挨拶は元気良く大きな声で(挨拶しない選択肢を取らないなら大きい声出そうが小さい声出そうがコストはだいたい同じ、ならば得する方をやる) ・会話をする際は集中して相手の話を聞く(どうせ聞くなら集中するもしないも同じ、ならば得する方をやる) ・相手が喋っているあいだは相槌に留め、決して相手の喋っていることを遮らない(そこまでして自分の意見をわざわざ言ってやるメリットがない

    嫌われない人になる方法 - ←ズイショ→
  • 恋愛守破離の「守」を恋愛と呼ぶ人と、「破離」を恋愛と呼ぶ人 - ←ズイショ→

    アパートに住んでるんですけど、隣がたぶんアラフォーくらいの中年夫婦なのかな、こいつらがふたりともなかなかにヒステリックな性格の人みたいで結構な喧嘩しよるんですよ。旦那さんも奥さんもこれがアニメだったら家全体を引きで撮って家が揺れる演出入るだろくらいの声量で揉めよるんですね。内容はそんなはっきりわからんけど、二人が交互に喋るテンポとテンションの上がってくペースだけ聞いててももう教科書どおりの売り言葉に買い言葉だなって感じで、日々うるせえなと思ってるんですけど。一回すげえ笑ったのが、俺その時はベランダに出て洗濯物干してたから喋ってる内容がはっきり聞こえたんですけどね、いつものようにフリースタイルダンジョンばりに交互に旦那さんがわめいて奥さんが喚いてってやってるんですけど、「交互に」の形容にフリースタイルダンジョンばりも何もないだろって話なんですけど、奥さんの方がね、「あんた、あたしのこと幸せに

    恋愛守破離の「守」を恋愛と呼ぶ人と、「破離」を恋愛と呼ぶ人 - ←ズイショ→
  • あなたはこの文章を読んで「こいつめんどくせえな」と思う - ←ズイショ→

    はい、掲題の通り、何一つ共感されずただ「こいつめんどくせえな」と思われる話をします。 今日、嫁と二人で街に軽く出る用事があったので、そのついでに以前一度だけ飛び込みでランチべてとてもおいしかったからその後も何度か飛び込みで足を運んでみたものの最初の一回以外は「すいません、今日もう予約でいっぱいなんですよ」と言われてリピートできていなかったステーキハウスに行けるなら行きたいねという話になりました。それで、9時に朝を済まして10時には家を出て、10時半すぎには街に出たところで11時オープンのお店に嫁が電話を入れることになりました。別にそういう業者との電話連絡はいつも嫁の仕事、というわけではないのだけれど僕がガラケーしか持ってなくて検索能力が幕末の侍レベル(つまりほぼゼロ)なので外出先の飲店への電話なんかは嫁がスマホでお店調べてそのまま流れでみたいなことが多いのです。で、まぁさっき朝飯

    あなたはこの文章を読んで「こいつめんどくせえな」と思う - ←ズイショ→
  • 小学校がラノベを禁止しても、小学校ってそういう場所でしょとしか思わん - ←ズイショ→

    読んでなんか思ったことテキトーに書きます。 まず、僕たぶん学校に期待してないからなんだけど、学校が「それは学校ではしては駄目です」って言うことに実はそんなにむかつかないんすよね。「それには絶対価値がない、お前らもそう心掛けよ」みたいなとこまでいくとまぁどうかなとは思うんだけど、「学校では駄目です、学校はそういうことする場所じゃないです」くらいは多少理不尽でも別にいいんじゃないのって思ってる節がある。いや、実際そういう学校側の言い分に糞むかつくことは今でも多々あるんだけども、むかつく部分も含めて学校じゃん的な。プロレス的な話でもあるんですけど。 この話は僕が誰だかから聞いて「俺もそう思う~」って思った話なのでつまりは受け売りなんですけど、なんか子供が混乱しないようにお父さんとお母さん、あとはおじいちゃんとかおばあちゃん、みんなが同じテーマの設問に同じように答えられるように口裏合わせておきまし

    小学校がラノベを禁止しても、小学校ってそういう場所でしょとしか思わん - ←ズイショ→
  • 「私たちは複雑さに耐えて生きていかなければならない」 - ←ズイショ→

    自分が未だ小学一年生だった頃の時分、近所になんとかのおばちゃんと呼んでいた僕にとても良くしてくれた貴婦人があった。何がキッカケかは覚えてもいないが、当時の僕にとってそのなんとかのおばちゃんの家に遊びに行くのはとても自然なことで、行くとなんとかのおばちゃんの家にはおもちゃがたくさんあって、好きに遊んでいいとおばちゃんに言われたし、だから好きに遊んでいた。もう必要ないから貰ってくれて良いと言われ、お中元お歳暮で送るような菓子を詰める缶箱にいっぱいのキン肉マン消しゴムSDガンダム消しゴムとか、缶箱いっぱいのビックリマンシールとかをもらったりもした。どちらも僕と同級生との間ではそんなに流行っていた気もしないので、僕はそれを友達に自慢することもなく、一人で、家で、大切に遊んでいた。僕より少しかよっぽどか上の年齢の子供のブームだったのだろうと思う。今になって思えば、なんとかのおばちゃんは、子供が大学に

    「私たちは複雑さに耐えて生きていかなければならない」 - ←ズイショ→
  • 謝ったら死ぬ病の人に「間違ってない部分もある」のは当たり前 - ←ズイショ→

    僕はもう20年くらいインターネットに触れているんだけど元来集団への帰属意識が薄いもんで俺は俺、他人は他人と思ってやっていたのだけれど、ブログで頓珍漢なことを言っていたフリーアナウンサーがそれが原因でテレビ番組を降板させられたというニュースを聞いていわゆるネットスラングでいうところの「大勝利」という感覚を生まれて初めて覚えたので、「俺はこの件にけっこうよっぽど怒ってたんだなぁ」ってことと「年取ったんだな俺、気をつけよう」ってことを同時に思った。 それで、頓珍漢な人は頓珍漢なのでまぁいいとして「言い方は悪かったが考え方としては間違ってない、一理ある」みたいな評価を一定数見かけて、それに対してなんだかなぁと思っていた。 先日、「私たちは複雑さに耐えて生きていかなければならない」というタイトルのブログを書いたのだけど*1つまりはそういうことで、結局世の中のたいていの炎上・失言・暴走した正義ってのは

    謝ったら死ぬ病の人に「間違ってない部分もある」のは当たり前 - ←ズイショ→
  • 「やる気がないなら帰れ」とポリコレダブルバインド - ←ズイショ→

    ネットなんかで永らく繰り返されている「正しすぎる正義」「正しすぎることの何が悪い」の話題ですがぜんぜん正しくも何ともないことがわかったのでそれを書きます。 あのー「やる気がないなら帰れ」ってあるじゃないですか、よく腹立つ教師とかが使ってきてたやつ。あれってずるっこいですよね。実のところ言外に要求してるのは「俺に逆らうな」「俺の言うとおりにしろ」なのは明らかじゃないですか。しかし言葉のうえでの質問は「やる気はあるのか?」です。「先生の教え方は理不尽です」と言っても「そんなことは聞いていない。やる気はあるのか?ないのか?どっちなんだ」ってな調子です。こう言われると大抵の子は啖呵を切って教室を出ていくのも大変なので「やる気あります。帰りません」と答えざるをえません。相手の思うツボですね。ここでやる気があると表明したことを褒めてきたりするのもむかつきますね。飴と鞭のつもりかよ。なお、この場合は

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