2009年7月13日のブックマーク (4件)

  • 移植を待つ親は、子が脳死になったら臓器を出すか? - kanjinaiのブログ

    あしたの採決の前に、書いておきます。 もし仮にA案、A’案が通ったとしたら、これまで子どもの移植を訴えてきた親の方々は、つらい状況に追い込まれるのではないでしょうか。 それは、移植を待っているあいだに、不運にも、子どもが脳死になってしまった、あるいは心臓死になってしまったときに、親は脳死・心臓死の子どもから臓器を摘出して移植し差し出すかどうかを問われることになる、ということです。(いまはそういうことは日では生じません) このとき、 ・ 親には、脳死・心臓死になった子どもから臓器を摘出する法的義務はありません。 これは確かなことです。 問題となるのは、 ・ 親は、自分の子どもには臓器をくださいと言っていたのだから、自分の子どもが脳死・心臓死になったときには、自分の子どもから臓器を摘出して差し出す、道義的義務があるのかどうか? という点です。言い換えれば、 ・ 「うちの子どもに臓器をください

    移植を待つ親は、子が脳死になったら臓器を出すか? - kanjinaiのブログ
    fusionstar
    fusionstar 2009/07/13
    今後、不幸にも難病にかかり長く移植を心待ちにしていた児童も、脳死となったとたんに移植可能な臓器をたずさえた「遺体」と化す。 そのとき自分はなにを正しいと思い、他人はなにを正しいと思うのだろう。
  • 「移植を待つ親は、子が脳死になったら臓器を出すか?」という傲慢な質問への回答 - 琥珀色の戯言

    移植を待つ親は、子が脳死になったら臓器を出すか? (by「感じない男ブログ」(2009/7/12)) ↑のエントリを読んで。 「臓器移植法改正A案」については、あらためて書くつもりなのですが、僕はこのエントリを読んで、なんだかすごくいたたまれない気持ちになりました。 子どもが「脳死」になることや、子どもが移植を受けないと助からない難病にかかるだけでも筆舌に尽くしがたい苦しみのはずなのに、なんでこんなことまで問われなければならないのだろう? あまりに酷過ぎるんじゃない? 僕は、この「移植を待つ親は、子が脳死になったら臓器を出すか?」という質問自体が、傲慢だと思うのですよ。 だってさ、これは、「移植を待つ親」は「あくまでも他人である」という視点のものだから。 世の中がこういうふうに「困っている人に対して、他人事としてニヤニヤ眺めているだけ」で、挙げ足をとることばかり考えている限り、どちらにして

    「移植を待つ親は、子が脳死になったら臓器を出すか?」という傲慢な質問への回答 - 琥珀色の戯言
    fusionstar
    fusionstar 2009/07/13
    なんというか、ひとつ前の問題に論点を戻してどうすんの、という感じ。 んなこたわかったうえでの仮想 (もう仮想じゃないけど) 設問だったように思うんだけど。
  • 【閲覧注意】愛情を責任という形で:アルファルファモザイク

    愛情もなにも無い様には見えない。 逆に、この条件でもこのコと結婚したいって思う事こそ 愛情なんじゃねえの? そういう事でしょ? うーん、マジキチとは別に思わないけどなー いいんじゃねえの?他人の事は おまえらが結婚しなければいいんだよ。 普段はこういう所で意見しないけど、 ま、こういう話題があがるといつも思ってた事一言だけ。

    fusionstar
    fusionstar 2009/07/13
    夫の表情がすべてを物語っている。
  • はてなTシャツ2009がきた : 404 Blog Not Found

    2009年07月12日20:00 カテゴリBlogosphere はてなTシャツ2009がきた こんな感じ。 はてなオリジナルTシャツ2009 - はてな どうせなら、スポンサーしているタグのTシャツとかも作るとか。 [これはひどい] Dan the Man with Too Many T-shirts and No Suites 「Blogosphere」カテゴリの最新記事

    はてなTシャツ2009がきた : 404 Blog Not Found
    fusionstar
    fusionstar 2009/07/13
    そしてこの笑顔である。