父親が35歳で亡くなっているので、若い頃から、なんとなく35歳で死ぬのではないかという思いにとりつかれていた。あほなことを、と思われるかもしれないけれど、井上ひさしも中井貴一も同じように思っていたようだから、父親に早死にされた息子の宿命のようなものかもしれない。この3月で55歳になったので、早くも余生生活20年、とえないこともない。そうすると、まことに楽しく有意義な余生で、ありがたいことである。 ちょうど20年前、35歳を迎えたころ、研究生活は最悪。本庶佑先生ひきいられる京都大学医化学第一教室に雇っていただいたものの、まる一年半、成果らしいものはあげられず。私のことを個人的に知っている人には信じられないだろうけれど、ほとんど鬱状態であった。大阪から京都へ通っていたが、往復の京阪特急の中でも、頭の中は研究のことでいっぱい。土日はおろか、お正月も祖父の葬式の日も、データはでないのに研究室へ行っ